権利と義務と正義と浪漫と
皇紀2588年 6月19日 帝都東京
尾行に感づいた有坂結奈は夫である有坂総一郎を喫茶店に誘い追跡者の動きを見張る。
奥の席に座った結奈は追跡者たちから会話の内容を秘匿するために筆談を始める。と言っても、結奈の一方的なものである。
表面的には会話を続けているが、それはあくまでダミーでしかない。
――泰平組合の方々は退場願ったわ……そのうち貴方と面識がある方がこちらに顔を出して対処してくれるわね。
――それで、先程も言った通り、私は貴方が容疑者だと、黒幕だと疑っているわ。違うかしら?
結奈は表面上は夫婦のとりとめもない会話をしながら筆談で追及を続ける。
総一郎はそれに対して肯定とも否定ともいえない表情で答える。
――答えになって言わないわね……永田一派の動きを封じることで、貴方や東條さんが主導権を握れずとも望んだように満州事変へと事を進めることが出来る……それも彼らのシナリオをそのまま使って。貴方や東條さんは一切手を汚さずに最終的な利益を得ることが出来る。違うかしら?
「ははは……そうとも取れるね。なるほど、面白いよ、その考えは」
総一郎は会話の中で筆談による追及の返答をした。だが、そこには結奈が望むものはない。無論、そこで追跡者たちに言質を与えるような真似をして欲しいわけではないから、返事としてはそれ程問題とは思ってはいない。
――仮に貴方が真犯人だとして、東條さんはそれを認めるとは思えない……。であれば、貴方は独自で誰にも言わずそれを為したということになるけれど、貴方が黒幕であるという仮定しての返事をして欲しいのだけれど……。
「さすがは結奈だね……仮にそうであるとすれば、君の予想通りだろうね。私ならそうするだろうね。」
――つまり、貴方はこの事態が進行するまでは一切私にも何も言うつもりはないのね? 貴方が潔白なのか黒幕かどうかも含めて……。
「そりゃそうさ、君だって同じようにするだろう?」
総一郎がそう答えた瞬間、結奈はキッと睨みつけた。
「違うと断言しないということは何かしら関係しているということね……私に相談もなしに……」
「手を汚すのは男たちだけで十分だ……そして責任を取るのもね」
総一郎の決意めいたそれは現代にいた頃と変わらない。基本的に彼の思考は政治も経済も男の世界なのだ。それは浪漫でもあり特権だと思っている思想に基づく。無論、それが現代世界では時代遅れもしくは差別意識だと言われるのだが、彼にすればそんなものどこ吹く風である。
「決意も覚悟もない人間には関わらせないということね……その割には陰謀や根回しに関わらせ過ぎじゃないかしら? それでありながら、女子供は黙っていろと言うのはあんまりじゃないかしら?」
「この時代では我らこそ正義なんだよ……そして、権利に対して義務を果たすということが重視される今の世界では尚更だよ……まぁ、関わらせ過ぎたのは反省しているのだが……」
総一郎が反省の弁を述べた丁度その時だ。
「有坂会長、御無沙汰しております……たまたま外回りの途中、窓の外から部下が見えたものですから、仕事を放置して遊んでいる部下を説教してやろうと思っていたところ、奥方の姿が見えましたもので挨拶だけでもと思いまして……」
「これは堀さん……この蒸し暑い中ですから部下の方がやる気が出ないのは仕方ないですよ。そうだ、部下の方にも挨拶をしたいのですが……」
総一郎の意図に結奈は気付く。バレていると印象付ける腹積もりなのだ。
彼こそ結奈が呼びつけた本人、泰平組合の堀三也である。
「有坂総一郎と申します……堀さんの部下の方ですから大変優秀なのだろうと思いますが、外回り中の業務放棄は程々にしませんと上司の方の雷が落ちますから気を付けてくださいね……それと、堀さんも含めてですが、我が社に近々おいでいただけると嬉しく思います……今は持っておりませんが、新商品のお話をしたいと思いますので是非」
「では、是非、近くお邪魔させていただきたく存じます……会長もくれぐれもお気を付けください……奥方の雷も怖そうですからな」
「それは違いない」
総一郎は堀と一緒になって笑った。が、その後ろから黒いオーラがヒシヒシと感じられると脂汗が背中を伝った。
「では、我々は失礼致します……」
結奈の瘴気に中てられた堀は部下とともに店を後にする。
残るは外国ビジネスマン風の追跡者だけだ。




