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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2588年(1928年)

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28年テーゼ

皇紀2588年(1928年) 3月20日 ソヴィエト連邦 モスクワ


 日本共産党の残党たちは華僑の手引きによって上海へ渡り、そこから北京、ウランバートルを経由してソ連領に至った。後に「長征万里を越えて」という自叙伝を亡命指導者である徳田球一は残しているが、彼と同志たちの長征は苦難と詐欺と困窮の連続だったという。


 その共産党残党亡命者たちはモスクワに着くとすぐさまコミンテルンに呼び出され、コミンテルンが示した27年テーゼの実行を強要されたのであった。


 徳田らの日本共産党は二段階革命論を唱え、急進的であっても段階を経た社会主義革命を目指すものであったが、ソ連とコミンテルンはそれを現実を見ておらず許容出来ないと判断し、方針転換を強制したのである。


 すなわち27年テーゼである。


   ◆日本は半封建的国家であり、近代国家として熟成しているとは言いがたい

   ◆君主制の廃止

   ◆日本共産党は当分の目標としてブルジョワ革命を目指すものとする

   ◆ただしその際のヘゲモニーはプロレタリアート、農民がとるものとする


 コミンテルンは社会底辺層からの革命ではなく、中流階層を蜂起させ、社会の分断と民衆運動による国家行政の麻痺を目指すべきと重ねて強調し、その尖兵として軍隊を赤化することを要求したのである。


 大日本帝国の軍隊という組織を見ると赤化するには非常に都合が良い組織形態をしており、中堅将校もしくは下士官辺りを赤化扇動することで兵たちに一気に伝播させ、それによって共産党シンパを育成するというものだ。


 コミンテルンからの指示は改めて28年テーゼ、28年行動指針と称され、国外に潜伏する共産党員やそのシンパに手渡され、それに従い行動を行う様に徳田らはモスクワから指示を出すことになるのであった。


 日本本土では憲兵隊や特別高等警察などによって徹底的に赤狩りが行われていることで赤化は食い止められているのであるが、規律が緩みがちの外地の派遣部隊や商社社員、教職員などが主なターゲットとされ、これらを引き込む役目を中国共産党も担うこととなったのである。


 これが後に帝国陸軍を揺るがす大事件の火種となるのだが、それはまた別の話である。

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