鉄道連絡船
皇紀2588年 3月18日 帝都東京
「話題は本四連絡に戻るが、貨車航送するとなると四国の改軌が進んでいないことと合わせて軌間が違うことによる問題が発生するが、どうするつもりかね? 本州は幹線、亜幹線、地方線と順番に改軌が進んでいるのだが、四国は孤立しているから現状では影響がないが、貨車航送を始めたら確実に問題が発生すると思うが……」
内務大臣後藤新平は鉄道大臣仙石貢に状況を確認する。
現在、四国の改軌は後回しにされている。理由は四国における鉄道輸送力と需要の大きさが優先度を引き下げているためだ。
戦後に瀬戸内海沿岸に勃興した造船業の発展で坂出、宇多津、丸亀などの沿岸部が工業化したが、この時代のこの地域は塩田が広がる状態である。
ただ、海軍省の指導で史実よりも10年以上早く今治造船が設立されている。しかし、この時期はまだ今治周辺に船渠を有する地方企業に過ぎないが、海軍省の助成金を使うことで今治と西条に合計で300m級2本、200m級4本、船台3基を工事中を含め保有している。
そのため、製鉄所などの建設計画も上がってはいるが、本州、九州、北海道の改軌、弾丸列車建設が優先されてしまい後回しとされている。
「それなんだが……宇野線の改軌を遅らせ、岡山の操車場にガントリークレーンを設置して標準軌側ヤードに入線した列車から狭軌側ヤードに入線している列車にコンテナを積み替えるという方法で暫くは対応しようと思うのだが、その研究は現在有坂重工業の工場内で検証を行っているわけだが、概ね実用に耐えると報告が来たばかりだ……」
仙石は後藤の懸念を解消する様に答える。
四国側の標準軌改軌を行わない限り、どういう形であれ手間がかかるのは間違いない状態である以上、一番簡単な方法を取ることにしたのだ。
フォークリフトで載せ替えをするという現行の方法でも出来ないことはないが、時間が掛かり過ぎるために、それなら隣り合わせに停車させた列車の上にガントリークレーンを設置して載せ替える方が早いと考えられたのだ。
ただし、それでもいくらかの時間が削減されるだけで、結局はタイムロスを劇的に削減出来るわけではない。
「いずれ改軌せねばならんか……それで貨車航送そのものが行える船はどうなっている? これは四国だけではなく、北海道でも必要になるものだぞ?」
後藤は仙石に重ねて尋ねる。
「それについては佐藤君から……例のモノを」
仙石は佐藤栄作に説明を引き継がせる。佐藤は持参した模型をテーブルに置くとその横に図面を広げる。
「第一青函丸から飛躍的な進化を遂げる仕様となっておりまして、各種新技術の投入により航送時間の短縮と高速化を可能としております……また、大型化によって旅客輸送能力も強化されております」
総トン数1万トン、船内留置4線、各線コンテナ車6両計24両、旅客1200名、20000馬力、18ノット、バウスラスター装備……。
貨車の航送数こそそれほどの違いはないが、第一青函丸に比べると旅客数、速度ともに圧倒的である。
無論お気付きかと思うが、この鉄道連絡船の基礎となったものは津軽丸Ⅱ型とも八甲田丸型言われる青函連絡船である。青森や函館に保存船として浮かんでいるアレだ。
「えらく大型化したものだな……ここまで大型化する必要があったのか?」
後藤は呆れかえる。それほど巨大な船だった。
「これならまだ控えめと言ってもいいかもしれません……乗客を載せない車両渡船に至ってはコンテナ車総計30両~36両という化け物を提案していて、我が鉄道省だけでなく造船企業を煽っている方がいらゃっしゃいますから……」
佐藤は「そこのソイツだよ」という視線を送ってくる。同時に「あぁ、あいつが煽ったんなら仕方がない」という妙な納得がこの場に流れた。
「しかし、これほどのものが必要なのか? いささか過剰ではないかと思うのだが……そうは思わんか?」
東條英機大佐は懐疑的な視線で有坂総一郎を見る。鈴木貫太郎大将や平賀譲少将も同様である。
「今後、支那の動き次第では上海もしくは満州から兵を進めなくてはなりません。その際に、現地の鉄道車両が使えると思いますか? 敵の破壊がないとは言えますまい。その時、内地から車両を送り込み、兵站を確保しなければなりませんね? その時に、大量の車両を一度で運べる船がどこにありますか? それも外洋で航行可能な船が……」
総一郎の言葉に軍関係者は押し黙る。
「鉄道は戦時においては兵器です。その兵器輸送をより確実にそして迅速に行うのはこの新型鉄道連絡船以外にありますまい」




