列島改造第一期工事完工
皇紀2587年 12月9日 大日本帝国
帝国議会において列島改造論、弾丸列車構想を有坂総一郎が唱えてから丸4年、遂に東海道本線、山陽本線の改軌が完了した。また、東北方面は東北本線よりも優先して常磐線の改軌複線化工事が進行し、年内には仙台~下関の標準軌運転が可能となる見込みである。これによって、常磐線は常磐本線と改名されることとなった。
また、北海道においても石炭輸送の強化を目的として優先的に改軌(三線軌条化)を行い、室蘭本線の岩見沢~室蘭、夕張線全線、幌内線全線、歌志内線全線、千歳線全線、函館本線の旭川~札幌の道央地域における輸送体制が概ね整ったのである。無論、この地域の炭鉱私鉄も同様に改軌工事を行っている。
これによって本州の大動脈の輸送能力の改善が図られたことで今後は地方幹線や支線区の改軌工事が進展すると鉄道省は認識し、第一期工事の完了を宣言したのである。
実際にこの輸送力改善は大きな意味を持っていたのである。改軌だけではなく、勾配の緩和を行うことで牽引定数の引き上げを可能とし、バイパス線の建設で所要時間を削減したことも大きく貢献している。無論、最高速度は95kmから130kmに引き上げられており、満鉄で開発された導入された高速機関車(鉄道省制式C52形)はその真価を発揮することが可能となったのだ。
将来的には150km運転を計画しているため、路盤と道床はそれに合わせたものであり、習熟次第では前倒しによる150km運転も予定されている。
鉄道省は今回の改軌に合わせて鉄道省制式の型式称号を変更することとなった。
8620形と9600形はその数の多さからそのままとされたが、18900形はC51形と改称され、9900形はD50形と改称された。合わせて改軌の目玉である満鉄謹製の高速機関車はC52形と命名された。
また、D50形は八八艦隊の中止によって大量に余剰となった肉厚の圧延鋼板を活用することが可能となったことで量産が可能となったものであり、今も量産が継続しているのだが、改軌による各種効果と今後の需要増大を考えると今少し性能の向上を望まれていた。
このため、鉄道省内では強力な新型貨物用蒸気機関車の製造か新型電気機関車の製造かを問う論争が激化していたのである。
電化区間が少なく、限られた線区でのみ運用されていた電気機関車はそもそもこの時期は未だその性能は低く、現場も敬遠するきらいがあったが、技術者たちからはエネルギー効率を考えると今後は電気機関車の製造を行うべきという声が上がってはいた。しかし、彼らもまた技術力の向上と蓄積には時間が掛かると考えていた。だが、英国製の輸入電気機関車はしょっちゅう故障を起こしていたことで鉄道省技術陣は鍛えられ経験を積むこととなり、これによって国産の電気機関車開発に対する自信が生まれてはいたのだ。
このこともあり、鉄道省幹部は本命を蒸気機関車とし、電気機関車に関しては継続的に研究と開発を行うとし、新型貨物機関車のコンペが行われることとなり、年明け早々に書類審査が予定されている。
旅客用の蒸気機関車に関しては昨年来研究開発が進められている蒸気タービン機関車とガス燃焼式が現状では本命視され、弾丸列車についてはタービン機関が適しているだろうと結論が出たことで在来線に関してはガス燃焼式をどういう形で反映させるということで議論と計算が繰り返されていたが、概ね満足のゆく方向性が見えてきたという状態であった。これによって次期主力蒸気機関車C53形はC52形を基本としてガス燃焼式を採用するということでほぼ確定していた。




