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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2587年(1927年)

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毛沢東起つ

皇紀2587年(1927年)8月7日 支那 武漢


 武漢三鎮の一角を占める漢口において中国共産党臨時党大会が開催された。武漢国民政府を主導する中国共産党だが、国民党左派とともに実権回復を狙い、秋の収穫期を前に武装蜂起を決定したのである。


 後に秋収蜂起と称されるこの武装蜂起の裏にはコミンテルンからの武装闘争開始の指令があったこと、列強の増援介入が近いこと、蒋介石の北伐軍が北京を目指して北進再開を予定しているという事情によるものだった。


 北伐軍の北進再開は、満州北部における張作霖とソ連の睨み合いによって北京北洋政府の軍事的空白地帯が生じたことによる空き巣狙いのモノであり、その空き巣が出掛けている間に居直り強盗してやろうというものだ。


 まるでヤクザ同士の抗争の隙にシマ荒らしをする別のヤクザという図だ。だが、支那大陸という世界はそれが有史以来継続してきた伝統ある歴史なのだから仕方がない。隙を見せる方が悪なのだ。間違いなのである。


 だが、彼らに残された兵力は少なく、実質的には北伐軍からの脱走兵や離脱軍閥、追放された者たちが主であり、およそ軍隊の体を為してはいなかった。そのため、農村からの志願兵である紅衛兵が主軸となり、それを組織化した毛沢東が彼らの支持によって台頭し始めていた。


 また、同時に紅衛兵を北伐軍内部に潜入させ、内部から食い荒らしていく方針も示され、後方の辺境地域から北伐軍勢力を蚕食することが決定された。


 コミンテルンからは北伐軍を誘引するために満州北部での張軍閥への圧力を強め、より戦力を北進させると定時連絡を寄越してきたのだが、既に赤化寄生分子は各地に放たれており、ソ連の動きと同調して行動を開始する手筈は整っていたのだ。

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