ジュネーヴ海軍軍縮会議<6>
皇紀2587年8月4日 スイス ジュネーヴ
ジュネーヴ軍縮会議はいよいよ行き詰まりの解消が不可能と誰の眼にも映るようになってきた。
「さて、我がロイヤルネイビーは目下、弩級巡洋艦……もとい、比類なき屈強な巡洋艦と仮称するものを設計しておるとここに明らかにする」
この日の午後、昼食後に再開された会議の冒頭で大英帝国全権代表である大蔵大臣ウィンストン・チャーチルは遂に自身が公言した弩級巡洋艦についての設計草案を公表するに至った。
「現在検討されている艦は基準排水量1万トンの枠に囚われないものであり、先のワシントン条約の結果、廃艦となった艦の搭載していた艦砲を利用し、比較的早期に就役可能なものである。検討されている案によれば、10インチ砲3連装2基、6インチ砲3連装2基、他に若干の備砲を搭載し、速力32ノット前後を予定している」
チャーチルの言葉で議場にはどよめきが響き渡る。
「他の案では……10インチ砲連装3基、5インチ砲連装6基、他若干の備砲、速力28ノット」
さすがに10インチという装甲巡洋艦並みの武装の搭載は反響が大きかった。明らかに補助艦艇とされる枠を超えるそれには特にアメリカ側から反発の声が上がった。
「チャーチル卿、それは戦艦枠に入るものではないか! そのようなもの認められるわけがなかろう!」
「そうだ! それを建造するならば明らかに1万トンも逸脱し15000トン近くになっているはずだ! そのような艦を認めれば建艦競争が再開されるではないか!」
アメリカ側の言い分は尤もである。堂々と条約破りを宣言したも等しいそれに反発しない方がおかしいと言える。
それと同時に文字通りのドレッドノート・ショックの再来であったからだ。このような軍艦が建造されたならば8インチ砲搭載巡洋艦、従来の6インチ砲搭載巡洋艦は一気に時代遅れ、対抗不可になってしまう。
それどころか、このような強力な砲戦力を持つ快速艦が艦隊行動などではなく、単独行動などしたらどうだろうか……。巡洋艦では砲戦能力で対抗出来ず、戦艦では速力で対抗出来ない。まさに災厄と言えるだろう。
「では、1万トンの制限下であるならば……カウンティ級の改修設計案がいくつかあるのだが、面白いものでは航空巡洋艦というものもあるな。8インチ砲連装3基、他若干の備砲を積んで航空機20機程度……」
チャーチルの口から次々と計画草案が示されたことで前日までの妥結を探る方向性は完全に崩壊した。
「大英帝国は妥結を目指すのを放棄したのか!」
「軍縮の道筋をなんと心得る!」
アメリカ側だけでなく、フランス・イタリアまでもが反発を示した。ワシントン会議において巻き込まれた側の彼らにとって言い出しっぺが卓袱台をひっくり返すなど冗談ではなかった。
特にイタリアなどは先頃まで黙って推移を見守り、自国利益に適う相手に与しようと機会を窺っていただけに会議を振り出しに戻すチャーチルの二枚舌なそれに酷く立腹してしまった。
「だまらっしゃい!」
チャーチルの一喝が議場に響き渡ると流石に水を打ったかのように静まり返った。
「そもそも、1万トンの制限で満足いく船が建造出来ておるのか? 何かしらにしわ寄せが行っておるのではないのか? 確かに軍縮の精神は美しいものだ。だが、そこに乗っておるのは自国の兵士だ。自国の兵士を条約によって引き起こされる欠陥で危険にさらすのか? 彼は戦場で死ぬ覚悟を求められておるというのに、政治の都合によって発生した欠陥で死ねと諸君らは言うのであろうか? 私はそのようなことを断じて認めるわけにはいかん。まして、支那問題という現実的な問題を我ら列強は等しく抱えておるではないか!」
チャーチルの発言は正鵠を射ていた。
条約型巡洋艦はいずれも装甲防御力や居住性、復元性などに問題を抱えている。そして、実際に巡洋艦以外でも同様に制限によって極端な軽量化を行ったことによる弊害は各国ともに抱えており大なり小なり問題を引き起こしていた。
ゆえに彼の主張に反論が出来なかった。反論することは出来る。条約の精神から言えば……だが……しかし、それは自国民からの反発を招くだけで、流石に反発は躊躇われた。




