良心と野心
皇紀2587年7月21日 スイス ジュネーヴ
大英帝国海軍本部からのメッセンジャーは鍵付きの鞄から設計原案書類を数点取り出し、大蔵大臣ウィンストン・チャーチルに手渡し、上司である第一海軍卿サー・チャールズ・マッデンからの言葉を伝えた。
「第一海軍卿は野心的な原案を私に託し、閣下へ手渡すように申され、ここにある原案は未だ検討中であるが、閣下の言うところのドレッドノート・クルーザーに相応しいものがあるはずだとおっしゃっておりました」
彼はいくつかの資料について説明と目標工期、備砲の在庫とその利用による工費の削減効果などを説明するが、どれも1万トン級巡洋艦の枠を超えないものでありチャーチルにとっては不満であった。
「なんだこの8インチ3連装3基とは……カウンティ級とそれほど違わないではないか、砲の配置を変更した程度で野心的などどこにあるというのか……他はないのか! これも砲配置の変更と多少の仕様変更ではないか……これではドレッドノートの名に相応しくない」
メッセンジャーが提示した資料の艦は1万トン、8インチ3連装3基や4連装2基といった仕様のものであり、実質的に多少の違いはあっても条約型巡洋艦とそれほど大きな違いはないものであり、彼のぶち上げた弩級巡洋艦には名前負けしている状況であった。
「しかし、閣下、条約からの逸脱は国際世界に大きく影響を及ぼすだけに、改設計されたこれらの案は現在建造中のカウンティ級のそれよりも優れていることは間違いありません」
設計者の名誉のためにも弁明をする彼であったチャーチルにとっては不満を増大させるだけであった。
「そんなことわかっとる! 私は元海軍大臣なのだぞ、言われんでも要目に目を通せばその程度は判断が付く。そうではないのだ、条約に縛られているソレではなく、既存の巡洋艦を過去のものに追いやるそういうものが必要なのだ」
チャーチルの言葉にメッセンジャーは微妙な表情を浮かべる。
彼は海軍省を出る時に慎重派の技官たちに比類なき屈強な巡洋艦の設計原案は最後に提示する様に言われていたのだ。
小出しに設計書類を出すことで比類なき屈強な巡洋艦の建造を阻止し、条約の逸脱を防ぎつつ、枠内で現実的な範囲の巡洋艦建造へ誘導する意図があった。
これに同意した彼は第一海軍卿の指示よりもこれを優先したのである。
「さて、アーサーと言ったな、君は他にも優れた案を持っているはずだ、出し給え。このような小手先の改良などでは列強各国の巡洋艦に凌駕され不利になるだけだ。何しろ連中は軽巡洋艦並みの重装備の駆逐艦を建造して下克上をしているのだからな? 日独仏、判を押したように同じ思想で艦を造っておる。その状況で枠内の軍艦など建造しても埒が明かないとは思わないかね?」
チャーチルは冷ややかな瞳をしつつ大袈裟な身振り手振りでアーサーと呼ばれたメッセンジャーに語り掛ける。
「君の上司である第一海軍卿は何のために君をここに寄越したのかね? 外相の話では、奴が一番乗り気で差配していると聞くぞ? どうなんだね?」
葉巻を懐から取り出すと火を付け煙を燻らす。チャーチルにとってこれは癖でありポーズでもあるが、今時分のそれは苛立ちを抑えるためのものだった。
「あるのだろう? 列強の巡洋艦を一方的に蹴散らせる能力を持った艦の原案が」




