東方会議<4>
皇紀2587年6月27日 神奈川県 箱根
シベリア出兵において仮設の装甲列車モドキを急増して無害貨車に野砲を載せ、敵集団と遭遇戦を行ったという記録もあるそれが日本における装甲列車の元祖であった。
だが、この世界ではその仮設装甲列車の活躍の幅は少なかった。有坂重工業や東京瓦斯電気工業が必死にトラックを量産したことで、これの代用を担った側面があるからだ。
「我が社は社運を賭けて装甲列車の開発を行い、これを満州及び支那方面に投入することで満鉄の防衛と同時に跳梁跋扈する馬賊匪賊を殲滅し、想定される抗日ゲリラや抗日パルチザンの鉄道への妨害を排除することが出来ると確信しております」
有坂総一郎は資料を片手に、時折装甲列車の模型を片手に身振り手振りで装甲列車の有用性を訴える。
だが、そこに口を挟む者が居た。
「有坂君だったか……君のオモチャは非常に興味深いのだが……その財源は如何にする? シベリア出兵の時、あなたは我が陸軍に多大な献納を行ったと聞いておるし、それについては我が陸軍は感謝に耐えない。だが……今回はそうはいかんのであろう?」
先年新設された整備局動員課長を務める永田鉄山である。彼の眼光は鋭く、丸眼鏡に反射する光もあって反論は許さないと言わんばかりのものであった。
だが、彼の威嚇ともとれるその視線を受けてもどこ吹く風の総一郎であった。
「永田中佐、財源でございましたらここ数年の陸軍の軍縮もあり、国家財政に余裕が出てきたと聞いております。これは大蔵省の賀屋興宣という軍部担当の方に試算をお願いして作ったものです。これであれば、師団数の増強がなければ年3編成程度の増備は可能というものです。無論、これには満鉄側の援助も含まれております」
総一郎が出した具体的な数字によって陸軍側の面々は満足そうな表情を浮かべるが、永田のみはこれに頷かなかった。
「そのような平時予算を基にした数字など最早当てにならぬであろう。現下の状況は既に準戦時と考えるべき状況だ。であれば、一刻も早く動員計画を立て、師団の増強を図らねばならぬ。列強も派兵を要請しているというに内地が空になるから兵を送れぬとは話にならんではないか! 斯様なオモチャを造る金があるならば、一刻も早く先日制式化した自動小銃や機関銃の量産を進めるべきであろう!」
永田の言葉は正論であった。
帝国陸軍の現在の戦力展開は以下の通り
内地:12個師団(定数18個師団)
朝鮮:2個師団+2個旅団相当
関東軍:2個師団+2個旅団相当
浦塩派遣軍:2個師団(内地から派兵)
台湾軍:1個師団+1個旅団相当
上海派遣軍:2個師団(内地から派兵)
支那駐屯軍:1個師団(内地から派兵)+1個旅団相当
派兵準備中:1個師団
合計で23個師団+6個旅団相当の戦力であり、とてもではないが、支那方面や満州方面に同時に展開出来る能力はないのである。
永田の言葉の通り、いざことを構えるならば、最低でも10個師団の増強は必要である。その財源を考えればとてもではないが、装甲列車3編成分の予算などあっという間に消えてしまう。
「永田さん、動員をかけるのは必要だとは思いますが、軍縮時代である今、国際社会の流れを無視して抜け駆けしての動員など行えばどうなるか、それはお解りではありませんか? まして、今、欧州ではジュネーヴ海軍軍縮会議が行われており、その妥結はほぼ不可能と伺っております……それにフランスがアメリカ側に寝返ったおかげで大角海軍大臣の根回しが水泡に帰したとも……」
永田の数量的な正論に対して、総一郎は国際社会という大義名分的正論で応じた。
「この東條も有坂君と同じ意見だ。量で補えぬ部分は質で補い、制限のかからぬ部分で応ずるべきだろう。そのためにも迅速な展開を可能とする装甲列車は早急に整備すべきであろう……」
「私も東條君や有坂君と同意見だ。大角大臣が一定の成果を上げるまでは軍拡に舵を切るべきではない」
実際に総一郎は東條英機や鈴木貫太郎らと現時点での軍拡は行うべきではないと一致していたのだ。そのため、各方面からの同意を得られたこともあり、永田の主張は必要性を認めるが、時期尚早であるという空気が漂っていた。




