ジュネーヴ海軍軍縮会議<2>
皇紀2587年6月20日 スイス ジュネーヴ
会議を主催したアメリカ大統領カルバン・クーリッジは列強各国の頑なな態度に交渉の行方が非常に暗いものであると再確認させられた。
元々、蒋介石の北伐開始から始まる支那における諸問題の解決にアメリカ側は極力中立の立場を取っていた。これは列強が揃って支那を隔離し、列強の都合を押し付け植民地再分割に発展することを恐れてのことであり、同時に支那を国際社会に復帰させるという意図を持ってのことであり、それゆえに自国領域であるフィリピンでの秘密交渉の仲介の労も取ったのだ。
だが、それらは尽く裏目に出て、事態は悪化の一途を辿り、本来仲介をしていたはずのアメリカも例外なく当事者の側に立たされるに至ったのだ。
無論、クーリッジとて状況を理解していないではなかった。
「各国代表に改めてこの会議の意義をお伝えする……」
クーリッジは悲痛な表情を浮かべつつ反発の声を挙げる各国代表を制する。
「この会議はチャイナの諸問題が発生するより以前から開催することが決まっていたではないか。そして、ワシントン会議において決められた主力艦保有制限によって海軍軍縮は進むはずだった……だが、よく考えて欲しい。各国は主力艦保有制限を契機に強力な補助艦艇の建造に乗り出した……。主力艦の代用に複数の補助艦艇をあてがい戦力補完するがごとく……だ……」
日英の代表団に厳しい視線を向け、クーリッジは演説を続けた。
「そして、ここにきて日英仏は共同歩調で権益保護を理由としての補助艦艇……特に巡洋艦の制限に異議を唱えている……これでは軍縮の基本理念が失われているも同然ではないか……。まして、日本はどうであろうか? 画期的な巡洋艦だけでなく、重装備の大型駆逐艦の建造を行い、着々と戦力化しているではないか」
クーリッジはここでアメリカ代表団に指示を出し各国代表団に資料を配らせた。
そこにあったのは特型駆逐艦の情報である。この世界でも特型駆逐艦はワシントン会議後の戦力補完を目的として建造されている大型駆逐艦であり、実験艦として建造された夕張型巡洋艦の手本としている。
主力駆逐艦である睦月型も現状でも十分に重装備の艦隊決戦型駆逐艦であるが、それよりも遥かに重武装かつ現代的な武装配置という画期的なものであった。
「この駆逐艦はスペシャルタイプと通称されているそうであるが、この駆逐艦は列強の保有する駆逐艦を凌駕する性能を有していることは明らかであり、文字通りスペシャルな駆逐艦であると言ってよいだろう……。斯様な駆逐艦の建造が行われている以上、我が合衆国も対抗せざるを得ないだろう」
イギリス代表団もこれには日本側に「抜け駆けをする気か?」という視線を向けている。
「無論、イギリスも同様に対抗する駆逐艦の保有を狙うだろうが、そうなれば際限ない軍拡の始まりである……よって、私は改めてワシントン会議の本義に立ち返って補助艦艇の保有制限を提案したいのである」
クーリッジの演説によって各国代表団も反発の声を抑えざるを得なかった。
日米を除く各国ともに欧州大戦の傷跡は未だ癒えていない。その状況でありながら次の戦争への準備でもある軍事力整備は破綻している財政や経済に大きく影響を与える。
実際にフランスに至っては戦後に建造再開したノルマンディー型戦艦4隻が就役して以来の国防費の拡大には国内でも議論が絶えない。国民とて保有そのものには反対ではないが、癒えていない戦災の後始末もままならない状況での遊休戦力の負担は不満の対象であり、そうでなくても対独用に国境地帯にマジノ要塞を建設し、国家予算に占める軍事費は相当に重い率である。
そんな国内事情もあり、会議の全容が伝わるわけではないが、会議が行われているホテルのロビーに張り込むマスコミへの対策を考えるとフランス代表団は苦しい立場に置かれてしまったのだ。
心情的には日英に同調して欧州のパワーバランスの維持を図りたいが、懐事情を考えると見栄を張っている余裕などない。いや、今でも見栄を張り過ぎている状態だと言える。
「クーリッジ大統領の言わんとすることは理解出来る。日本が戦力化しつつある艦艇については我が共和国も脅威と考えざるを得ない。そうなれば軍縮について前向きに検討を重ねるべきであろうと認識する」
フランス代表団は結局、パワーバランスの維持を軍縮という枠組みによって確保するという自国の都合優先の方針を声明するに至った。
このフランスの寝返りによってジュネーヴ海軍軍縮会議は再び振出しに戻ってしまったのである。日英の根回しは水泡に帰したのである。




