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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2587年(1927年)

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7.7mm口径制式化の完成

皇紀2587年(1927年)6月8日 帝都東京


 有坂重工業の帝都工場において7.7mm口径の新型軽機関銃の初期ロット2個師団分が製造完了し、この日、陸軍に引き渡された。


 陸軍省から各銃砲メーカーへ仕様を通達され、各メーカーともに26年夏ごろから設計を開始していたが、有坂重工業は既にその時点でチェコ製のブルーノZB26軽機関銃を入手していたことから、それを基礎に7.92mmを7.7mmへ変更し、弾倉装弾数を20発から30発へ改良し、実質的な九九式軽機関銃に近いそれを実現していた。


 銃身にはクロムメッキを施したことで耐久性が向上し、新型弾もセットで陸軍には提案されている。これはタングステンの量産の目処が立ったことで惜しみなくタングステン弾芯を使い貫徹性を高めていた。無論、すでに採用されている通常弾の使用も可能である。


 当初、競作という形で示され、陸軍造兵廠小倉工廠、東京瓦斯電気工業、日本特殊鋼、南部銃製造所、有坂重工業がこれに応じていたが、東京瓦斯電気工業はトラック事業に専念するため辞退、日本特殊鋼は製造下請けと資材提供に専念するため辞退し、結果、小倉工廠と南部銃製造所、そして有坂重工業が残った。


 各開発元ともに概ね、史実の九六式軽機関銃の7.7mm化したそれに近いものを試作していたが、開発は難航。十一年式軽機関銃の欠陥である砂塵に弱いという点をクリアすることこそ出来ていたが、7.7mm化という難題に頭を抱えていたのである。


 もっとも、彼らも有坂重工業からZB26軽機関銃を提供されると開発が一気に加速し、それぞれ特徴ある試作銃を開発したのである。


 開発自体は有坂重工業が先行していたが、やはり開発経験の蓄積の差は大きく、南部銃製造所と共同で開発することとなり、南部銃製造所で試作されていた銃に有坂重工業の開発コンセプトをフィードバックし、結果、九九式軽機関銃相当の軽機関銃が完成したのである。


 そして、採用されたのが有坂重工業で量産された八七式軽機関銃(現時点では試製が付くが)である。開発経験では一歩遅れを取っても製造能力は圧倒的に優位にあるため、主製造は有坂重工業となったのである。


 小倉工廠の開発したものは車載重機関銃として改設計され、八九式車載重機関銃(現時点では試製が付くが)として採用され、傑作車載銃として名を馳せるのである。これらの制式化によって、八七式自動小銃、八七式軽機関銃、八九式車載重機関銃という7.7mm口径シリーズが出揃った。


 いよいよ陸軍の装備刷新は第二段階へと移行する。

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