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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2587年(1927年)

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持参金疑惑

皇紀2587年(1927年)5月21日 帝都東京


 政権交代の影響によって少なからぬ混乱はあったものの、高橋内閣の成立によって昭和金融恐慌への対策が急がれ、モラトリアムが発令され、これによって市場の混乱は収束に向かった。5月中には概ね、取り付け騒ぎは収まり、帝国議会における内政議論は台湾銀行の後処理や内地銀行の不良債権処理についてが主となり、ここにもダルマ宰相の辣腕が振るわれることとなった。


 5月1日に立憲政友会、憲政会の合流によって立憲大政会が成立し、巨大政党が誕生し、国内政治は二大政党へ集約されることとなったのだ。


 高橋内閣は今までの寄り合い与党の政策ではなく、明確に内閣の政策方針を示すことで来年に予定されている総選挙に向け帝国臣民へアピールも行った。


 内政については原内閣から若槻内閣までの実績と列島改造による経済成長を特に強調し、外交についてはシベリア出兵、極東連合帝国(鳥取政府の正式移転)、軍縮の成果などをニュース映画として放映し、目に見える形で積極的にアピールをすることで政友本党との差を見せつけたのだ。一種のネガティブキャンペーンでもある。


 この1ヶ月の間、矢継ぎ早に手を打ったことで帝国臣民の高橋内閣への支持は確実に高まっていたが、これと比例するように朝日新聞、大阪毎日新聞、東京日日新聞などは政友本党との結びつきを強めていったのだ。マスコミによる内閣、与党へのネガティブキャンペーンの開始である。


 だが、これらも実質的には不発に終わるのであった。


 逆に読売新聞などが田中義一政友本党総裁のスキャンダルを暴露して政友本党にダメージを与えたのだ。世に言う持参金疑惑である。田中が陸軍を退役した際に陸軍機密費を流用し政友本党への持参し、それによって総裁へ就任したという疑惑である。


 田中擁護の記事を濫発する大手新聞3社に逆に批判的な声が集中し、またも彼らの信用は傷つけられたのである。


 逆に当の本人である田中はこれについて一切の弁明をしなかった。周囲は弁明と釈明をするべきと進めたが、彼はそれを受け入れず、自宅を競売にかけ、それで得た資金を元に陸軍へ寄付を行ったのである。


「おら、この期に及んで潔白だと主張はせんよ。だが、流用したと言われる額を世話になった陸軍に寄付することくらいは出来る……無一文になっちまったがな」


 と彼は遊説先で地元新聞社の記者に語ったという。


 その日を境に疑惑を口にするものはいなくなった。が、それを持ち上げる大手新聞3社には彼自身が最も辟易していたのであった。

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