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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2587年(1927年)

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支那方面艦隊の出撃

皇紀2587年(1927年)4月1日 支那 上海


 南京事件についてこの地域を実効支配している蒋介石率いる北伐軍、国民革命政府(広州政府を中核とする国民党右派が合流した政府)に対し列強各国は厳重な抗議と首謀者の摘発、賠償を要求した。


 この時にもっとも怒り心頭だったのは年始の漢口英租界占領以来、犠牲者が大きかった大英帝国ではなく、南京において無抵抗の居留民を凌辱された大日本帝国であった。


 日本側は上海総領事名義で浙江省・江蘇省・安徽省の治安回復と北伐軍及び傘下の軍閥の綱紀粛正を要求し、同時に国民革命政府の支配地域における在留邦人の安全の確約を求めた。


 武漢政府の支配する漢口租界については南京事件直後に総引き上げが実施され、3000名にも及ぶ在留邦人が上海の共同租界へと撤退していたこともあり、南京で失われた人命財産の保障、そして漢口をはじめとする各地から引き揚げた邦人の財産に関しても上海総領事館には日々あらゆる訴えが上がっていたからである。


 帝国政府もまた係る事態に際し、手を拱いていたわけではなかった。


 竣工したばかりの天城型空母を含む支那方面艦隊が急遽編制され、内地泊地から押取り刀で出撃したのである。この艦隊には後に建造される強襲揚陸艦の雛形ともいえる存在である陸軍特殊船に相当する船が含まれているのである。


 陸軍特種船……史実では第一次上海事変での戦訓で生まれた神州丸から発展したが、この世界においては有坂総一郎、東條英機大佐、平賀譲少将の画策によってその建造が10年近く前倒しされていたのである。


 建造された特種船は神州丸の様なドック型を敢えて採用していない。無論、時期尚早であるためだ。代わりに船内にガントリークレーンを設置し、それによって格納甲板から移送し、吊り下げ泛水するという方式を取っている。わかりやすく言えば、大和型の後部に設置されている搭載艇格納庫のアレだ。


 ドック式に比べれば明らかに時間が掛かるが、従来の艀や舟艇をデリックで降ろしてから兵員を縄梯子で下船移乗させる方式よりは圧倒的に早い。


 これを実戦投入することで効果を見ようという裏事情もあった。


 だが、空母や特殊船を動員したのは帝国政府の意向もあったのだ。


「状況如何では北伐軍占領地域からの撤収も辞さず。ただし、表向きは撤退の意向は示すな」


 相手に舐められないためにも撤退は最終手段であり、帝国は厳然と事態に臨んでいるという姿勢を示すことが重要だった。そのための新鋭艦投入であり、迅速展開能力のある特殊船の動員だったのだ。


 今まで守勢だった帝国陸海軍の出動を決めた帝国政府には在郷軍人会や財界からの支持が集まったのであるが、それとは逆に大アジア主義者や外務省の一部勢力はこれに反発するのであった。


 帝国政府の方針に反発する勢力は25年の統帥権干犯問題で閣僚から追放された幣原喜重郎を担ぎ上げ、反戦運動を始めたのである。

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