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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2587年(1927年)

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南京事件

皇紀2587年(1927年)3月24日 支那 南京


 蒋介石の北伐軍によって華中地域の征討が進んでいた3月24日未明に事件は起きた。


 18日、北伐軍の主力は長江流域安徽省南部で反旗を翻した軍閥の征伐に出動し、南京周辺には留守居役の1個大隊程度の兵力のみが駐屯していた。


 だが、20日の早朝に南京-上海を結ぶ滬寧(こねい)線が何者かに爆破されたため留守部隊も出動し、南京は実質的に統治者の居ない空白状態になっていたのである。


 上海に駐屯する英印軍、米比軍はこの状況に危機感を覚え、23日夜に砲艦を南京に派遣し、中隊規模の戦力を展開しようとしたが、明けて24日未明にいざ上陸しようとすると砲艦に銃撃が加えられたのである。同時に各国の領事館付近から救援を要請する無線を受信する。


 事態が切迫していることを理解した英米軍は激しい反撃を加えるが、河畔に展開する武装勢力も必死の抵抗を示したことから激しい銃撃戦が繰り広げられた。


 朝日が昇ったころに排除に成功したが、いざ自国及び列強各国の領事館に到着するとそこには襲撃され破壊された廃墟があるだけであった。


 彼らの到着は一歩遅かったのである。


 武装勢力が何者であるか、それは正確なことはわからないが、彼らが支那人であり、明確に列強各国への敵対意識を持ち、実際に敵対行動をとったことは事実である。


 彼らの暴虐な行為は徹底していた。


 領事館の金庫は荒らされ、現金、有価証券、重要書類は残らず持ち去られ、抵抗したであろう領事館員や駐在武官・警察官は顔面が完全に潰れるまで殴打され、腹部をめった刺しにされ内臓は引きずり出されていた。


 だが、領事館の2階はもっと悲惨な状態になっていたのである。


 2階には居留民が避難し、最後の抵抗を示した形跡が残っていたが、避難し隠れていた婦女子は残らず引きずり出され、凌辱の上で殺害されていたのである。それだけなく、指輪やネックレスなどの装飾品も奪われ、指輪を外すために指を切断している遺体も見受けられる有様であった。


 だが、もっとも酷いのは、凌辱し殺害しただけに飽き足らず、歯科治療によって施されている金歯をも剥がし取るために顔面を破壊していたということだ。


 このような惨たらしい情景が各国領事館、各国の居留民の在住している地区の至る所で発見されたのである。


 この事態に対して、英米は上海に展開していた部隊を投入することで素早い行動をとることが出来たが、日本側は彼らよりも一歩も二歩も遅れてしまったのだ。


 上海から日英米仏伊の5ヶ国混成軍、約1個旅団相当の戦力が日英米の駆逐艦数隻と輸送船に分乗の上で南京に到着、展開したのは翌25日のことであった。


 最大の犠牲者を出したのは日本であり、尼港事件の再来を恐れた結果、無抵抗によって被害を拡大させてしまったのである。抵抗しないことを良いことに武装勢力は略奪凌辱の限りを尽くしたのだ。そして、彼らは嫌がらせのように敢えて殺さずに放置したのであった。


 だが、その場で凌辱された事実に耐えかねて自決した婦女子が多く、領事や駐在武官、警官らも事後報告の後に自決するという惨状だった。

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