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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2587年(1927年)

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ハイパワー金太郎

皇紀2587年(1927年)2月13日 埼玉県 所沢 中島飛行機所沢工場


 堤康次郎の便宜によって武蔵野鉄道(後の西武鉄道)沿線に広大な敷地が用意され、陸軍所沢飛行学校と隣接したこの土地で遂に中島飛行機自動車部の工場から量産型トラックが出荷された。


 このトラックだが、94式6輪自動貨車などに代表されるものではなく、それよりもやや大型の全長7m、全幅2m、全高3m、積載量6.5tという概ね現代で言うところの中型トラックの限界付近のものである。


 このトラックの開発にあたって、有坂総一郎は鉄道省標準コンテナ2個積載を基準としたことで、自然と積載量は6.5tと決まり、その後、道路事情や土木機械のサイズの寸法を考慮した車体サイズを採用することとなり、この仕様に決まったのであった。


 だが、このトラックの仕様が決まってから主要国道の高架やガード下の高さを調べてみると各地で引っ掛かることが判明し、鉄道省が中島飛行機に文句を付けてきたが、彼らもまた負けておらず鉄道省側に「コンテナ輸送を阻害するような建築限界である方がどうかしている」と至極もっともな反論をし、結果、道路を管理する内務省に飛び火するに至ったのである。


 だが、内務省もまた「そんなことを言われても、整備するカネがない。相談もなしに勝手に始めたことに巻き込むな」と反発するや三つ巴の殴り合いに発展したのは当然の帰結であったと言える。


 このため、鉄道省は既存の高架の嵩上げもしくはガード下の掘り下げによる通過空間の確保を強いられるのであった。無論、それは建設中の区間も同様であり、工事のやり直しがそこかしこで発生するという混乱振りだったと鉄道省の記録文書には記されることになった。


 そんな紆余曲折の結果、量産が開始され、第一ロット100台がまとめて出荷されたのである。その殆どは鉄道省が発注主であったが、トラック不足に頭を抱えていた各地の石油会社が商工省に横槍を入れさせる形で鉄道省の割り当てから奪っていったものも多くあったのだ。


 中島飛行機はこれによって大量受注を確保し、群馬県太田の本社工場の拡張も進め、本格的に自動車産業に取り組むのであるが、フォード・ジャパンやGMジャパンなどに比べるとやはり量産体制は効率的とは言えず、至る所で手作業が残っている状態であった。


 だが、それでも輸送力に余裕のある大型トラックの登場によってコンテナ輸送を含む貨物輸送全体に寄与することは間違いなかった。


 東京瓦斯電気自動車のTGE-A型トラックの役割を代行し、TGE-A型の中古車が地方へと出回るようになったのだ。


 従来のTGE-A型などに比べてはるかにハイパワーかつ輸送力の余裕があるその様から中島飛行機の大型トラックは登場と同時に「マサカリ片手に大熊を乗り回す金太郎の様だ」と経済紙で評判になったことから金太郎と呼ばれるようになった。

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