表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

229/910

謀略渦巻く南海の楽園

皇紀2586年(1926年)10月10日 アメリカ領フィリピン マニラ


 南シナ海を封鎖する大英帝国には大日本帝国、フランス共和国、オランダ王国が同調し、これを支持、同時に周辺海域のパトロールと称して中華民国(各政府支配地域)へ出入りする船舶を圧迫していた。


 これに対してアメリカ合衆国は門戸開放を建前にタングステンの自由化を条件として中華民国側と日欧の仲介をすると公式に発表。カルヴァン・クーリッジ大統領は世界経済の自由な商取引を守ることこそ我らの責務と語り、関係国に妥結を呼び掛けてたのである。


 大英帝国もこの時期に至り、表面上は兎も角、直接上陸作戦を行ってまで介入をしたいとは正直なところ思ってはいないためどこかの時点での妥結を望んではいたのである。


 大日本帝国も軍備が整っていない状態での警備活動は予算圧迫でしかなく、大蔵省の海軍予算圧迫によって極力早期に手を引きたいというのが本音であった。


 フランス共和国とオランダ王国は同調こそしているが、実際には艦艇を派遣しているわけでもなく、英国東洋艦隊の補給や領海への展開を認めているに過ぎないが、それでも戦間期において余計な出費はしたくないという本音が見え隠れしつつも戦略資源の価格吊り上げには断固許すまじという立場である。


 包囲網を形成するどの国も手を引きたいけれども手を引くことは広州政府の暴挙を認めてしまうことになるため振り上げた拳を下せずにいたのである。


 だが、広州政府の蒋介石も引き際を考えるとこれ以上無駄に列強を刺激しても得るものはないと軟化の姿勢を示し、水面下で交渉を行い上海に進出している石油メジャーのスタンバック社を仲介として米政府に接触し、意向を伝えたのであった。


 だが、そこからが迷走の始まりだった。


 蒋としては出来る限り外資の流入を阻止したいが、大陸権益で特に出遅れているアメリカにとってまたとない機会でもあり、上海を拠点に中支地区へ進出を狙っていたのである。


 中支地区は元々は日英の影響力が大きい地域であるが、先の5・30事件の結果撤退する企業が多く、その結果、勢力図としては空白地域となっていたこともあり、アメリカ資本は急速に投資を伸ばしていたのであった。


 だが、ここで南京の赤化国民党が難癖をつけて排斥を行い、アメリカは国家と財界の利害が一致し、蒋の広州政府を支援し、赤化国民党を始末し、出来れば同時に日英の影響力をも削ごうと画策していたのである。


 無論、クーリッジはこの謀略には関わっていないが、一部閣僚や国務省、商務省などが財界と結託し彼の知らないところで蠢動していたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ