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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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漁夫の利を得たのは帝政復古派

皇紀2586年(1926年)8月3日 大英帝国 ロンドン


 有坂夫妻はウィンストン・チャーチルに見送られ、この日ロンドンを発った。目的地は横浜である。


 帰国の途に就いた夫妻ではあるが、支那情勢はいよいよ緊迫の度を深めており、チャーチルから日本政財界への周旋を期待されていた。


 有坂総一郎はロンドンを発つ前夜、本国の東條英機大佐に充てた電報を打っている。


「これより帰朝す。ビヤ樽の機嫌すこぶる宜し。出雲殿への付け届け忘れるなかれ」


 出雲殿とは総理である若槻礼次郎を指す隠語である。彼が出雲国松江藩領出身であるからだ。無論ビヤ樽は言うまでもない周知のそれである。


 一方、大英帝国も着実に包囲網を固めつつある。


 7月中に大英帝国政府はドイツへの圧力を強め、これには抗いがたかったためパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領はドイツ国防軍が政府の許可を得ずに行ったこととしてヴィルヘルム・マルクス首相を管理不行き届きとして罷免し、ハンス・ルターを再度首相職に登用し行政刷新を図ることで大英帝国とオランダ王国の圧力をかわすことを狙った。


 この時、ヒンデンブルクはドイツ国防軍内の血気に逸る勢力を粛清し、穏健派で固めることに成功したのである。同時に帝政復古派に実権を与え、軍部への影響力を拡大したのである。


「朕に忠実なヒンデンブルクよ、時流に逆らって早まった真似をする輩を排除し、正統主義者で軍を固めよ」


 チャーチルからの書状が届いた後、ヴィルヘルム二世はヒンデンブルクへ秘かに指示を出し、ドイツ国内の掌握を図ったのだが、そのタイミングがタングステン・ショックと丁度重なり、ヒンデンブルクは好機と粛清と掌握を進めたのである。


 結果、ただでも強大な大統領権限がさらに強化され、結果としてヒンデンブルクの独裁体制に寄与する形となったのである。

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