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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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南シナ海の封鎖

皇紀2586年(1926年)7月20日 香港沖


 タングステン・ショックとドイツ船籍貨物船の広州への出入りという事態に大英帝国は香港へ前進配置されている東洋艦隊オーストラリア戦隊に海域封鎖を命じることとなった。


 7月15日、巡洋艦3隻と駆逐艦8隻で構成されるオーストラリア戦隊は香港-澳門に巡洋艦2隻と駆逐艦6隻を派遣し、航路をふさぐ形で展開させた。


 残余の巡洋艦1隻と駆逐艦2隻を香港に待機させたままであるが、こちらも即時出撃できるように臨戦態勢である。


 これに対して北京北洋政府、南京国民党、国民革命政府から大英帝国に対して抗議が寄せられた。


「貴国、東洋艦隊の航路封鎖は明らかに我が国の主権を侵害している。解除なき場合、貴国の特殊利権の接収も辞さず。即時撤収を求める」


 文言の違いは多少あれど各政権ともに同様の趣旨のものを大使館、総領事館に送り付けた。


 だが、大英帝国の反応はとても冷淡であった。


 北伐開始以後、ウィンストン・チャーチルの周旋と根回しによって英国の世論は阿片戦争の時と同様に「傲慢なチャイナを討つべし、大英帝国の威信にかけても退くことは出来ない」と沸騰していたのである。


 特に鉄鋼メーカー、重工メーカーなどはこの世論を煽り、景気浮揚の好機と捉えていた。同時にゼネスト潰しをされ、その上で市民の受けも悪かった労働組合なども自分たちの支持を増やすという目的によって派兵を支持しているのだから面白い。まさに敵の敵は味方とばかりにより過激なことを言って世論を煽っているのだ。


 国民世論が追い風になったこともあり、大英帝国はオランダ王国を誘い、マラッカ海峡、スンダ海峡、ロンボク海峡の封鎖を7月20日に宣言したのである。


 これによってドイツ貨物船はシンガポールで立ち往生することとなり、本国への移送が困難となったのであるが、同時に南シナ海へ入ろうとするドイツ貨物船も同様に封鎖によって引き返すか寄港先の変更を余儀なくされたのである。

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