舞台裏を覗こうとするが……
皇紀2586年6月20日 大英帝国 オックスフォード ブレナム宮殿
ウィンストン・チャーチルは有坂夫妻を残して部屋を出るとまっすぐに庭へと向かった。彼は庭の一角にあるテンプル・オブ・ダイアナに足を運ぶ。
ここは彼が妻であるクレメンティーンにプロポーズした場所である。
もっとも、チャーチルはその時寝過ごして約束をすっぽかしかけ、従兄弟であるマールバラ公爵の時間稼ぎ工作の結果、ここでなんとかプロポーズに成功したという。
だが、思い出深いこの場所に彼の足が向いたのは思い出に浸るためではなかった。
――恐らくあの者たちはこちらの手の内で大人しくしているのは今暫くの間だけだろう……。
彼は火のついていない葉巻を咥える。人前では火を付けて吸うこともあるが、彼は咥えて噛んでいることの方が実は多い。彼にとっては葉巻を噛むのは思考をまとめるためのものであり、同時に精神安定の役割を持っている。
――今の日本の政財界を裏で動かしているのは明らかにあの二人である。だが、それとは別に大角という海軍大臣も危険だ。ワシントン軍縮条約のどんでん返しも大角の仕業だと情報が上がってきている。
チャーチルの元には海軍大臣時代の人脈から情報がもたらされることも多く、その筋からは大角を警戒すべしという報告が多く届いている。
――艦隊派を一声で黙らせて手懐けた手腕は大いに警戒すべきであるが、真に警戒すべきは彼の描くロードマップだ。彼の発案で海軍予算を海運国としてのインフラ整備という名の下に造船施設の拡張が行われているが、これはそのまま軍縮条約が切れたらフル操業で軍艦建造を始めるだろう……。
かつて海軍大臣として欧州大戦の海軍作戦を指示した立場である彼にはとても気になる情報も入っていたのだ。
それは日本海軍の不気味な動きとは連動していないものであるがために見逃されていたが、ガリポリ上陸作戦で関係した海軍軍人からの一言でチャーチルは大きく注目していた。
――日本で近々就航する近海用貨物船は、今までのものと異なりデリックやクレーンを用いず貨物の搬入が出来るという。クレーンもデリックも使わずにどうやって貨物搬入するというのだろうか……。
最近の日本の情勢は目まぐるしく激変していて情報が上がってきても受け取る側には理解に苦しむものが多い。
――それだけではない……東條という陸軍大佐が切れ者で、関東大震災の直前にレポートを出して学者や建築家に大きく評価されたのみならず地震が発生した時には陣頭指揮をして英雄と呼ばれたらしいが……。
陸軍の旗振り役、海軍の黒幕的存在、政財界に影響力を発揮する新興企業家……チャーチルの頭を悩ます存在が日本には3人いることになる。そのどれもが一筋縄ではいかぬものばかりであり、優秀な英国情報部ですらその関係を未だ測りかねている。
――一体、日本では何が起きているのであろうか……。




