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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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212/910

東洋艦隊特需の始まり

皇紀2586年(1926年)6月10日 帝都東京


 この日、駐日大英帝国大使館から駐日大使が総理官邸を訪れた。


 彼の目的は英東洋艦隊の長崎港、佐世保軍港における補給修理及び根拠地としての活用を正式に依頼することである。


 これまでは香港を根拠地とする東洋艦隊チャイナ戦隊の一時的な寄港、食料品などの補給が行われているだけであったが、支那大陸において蒋介石が北伐を開始し、その裏にドイツの影が見え隠れしていることもあり、東シナ海、南シナ海の封鎖を実施するためには正式に根拠地の設定とそれに伴う港湾施設の借り上げが必要となったからである。


 東シナ海に面し、総領事館が置かれている長崎は根拠地として相応しく、三菱重工業の造船施設を利用することが出来ることが大英帝国にとって非常に好都合であった。また、佐世保軍港の乾ドックも補修施設として魅力的であったのだ。


 これに先立って駐日大使館から駐在海軍武官が海軍省を訪れ佐世保海軍工廠の利用についての打診をしており、海軍省はこれを政府が許諾するのであれば使用を認めると約束していたのである。


 事前の根回しもあり、若槻内閣も閣議決定、帝国議会での承認の後に正式回答をするとしたが、この時点で使用を認めていたのである。


 弾薬などの物資集積は佐世保軍港の施設の活用が認められ、主に佐世保軍港に投錨することとなった。また、英海軍将兵には休暇中の上陸が認められ、嬉野温泉、武雄温泉の全ての宿が海軍省によって貸し切りとなり、英海軍将兵が休暇を過ごす地として提供されることとなった。


 このことで佐世保線沿線地域は特需景気に沸き、九州各地から行商が集まり、武雄温泉と嬉野温泉などで露店市が行われ活況を呈することとなったのであった。


 士官らは伊万里、有田などに足を延ばして焼き物などを買い付け、これを任務明けで本国に持ち帰った際に彼らはオークションや収集家らに高値で売り抜け、ちょっとした資産を築く者もいた。

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