亡命皇帝
皇紀2586年6月6日 オランダ王国 ユトレヒト州ドールン
この地で余生を過ごす亡命貴族がいる。
彼の名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトル・アルベルト・フォン・プロイセン……先のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世である。
欧州大戦末期の革命によって不承不承ながら亡命をせざるを得なかった初老の皇帝に一通の手紙が届いたの今朝のことであった。
――誰かと思えば、あの戦争で朕を苦しめた好敵手からか……。
かつての大戦の相手側プレイヤーからの手紙に皇帝は些かの驚きと興味を持つ。亡命以来、僅かな近臣と過ごす日々はかつての臣下を罵ることと趣味で木を伐るなど穏やかではあるが退屈な日々であった。
その退屈な日々に少しのスパイスを効かせるような出来事であったのは間違いない。
――ほぅ……。共和国はヒーナと密約をしてイギリスを出し抜こうとしているとな。面白いではないか。
ウィンストン・チャーチルからの手紙にはドイツ政府が戦後枠組みを逸脱して要らぬ戦争の火種を蒔きつつあるという警告とも帝政復古への好機ともとれる内容が書かれてた。
今のドイツは第二代大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクによる治世であり、彼は皇帝の信頼する臣下であり、同時に大統領選挙に出馬するにあたって亡命中の皇帝に伺いを立てるという忠義に篤い人物である。同時に帝政復古派の領袖でもある。
――ヒンデンブルクめ……大統領になってから後、朕の治めた版図を復活させんとしておるのか? それとも……。
皇帝は自身のトレードマークである立派な髭を撫で、かつて治めた国がどこに向かっていくのか考える。亡命したとはいえど、自身に忠誠を誓う忠臣は未だにドイツ国内で帝政復古の時を窺い、活動を続けている。
皇帝の一声で危うい活動を抑えることは出来なくはない。だが……。
――イギリスは東洋艦隊を集結させ介入の機会を窺っておる……今であれば朕の一声でイギリスに恩を売ることも出来なくはないが……。
恩を売るためとはいえ、かつて自身とドイツを苦しめた存在のために働くのは癪だと感じつつ、しかし、新たな戦争の芽を摘んだという手土産は帝政復古、復位につながる可能性もあるだけに皇帝の心は揺らいでいる。
普段であれば鼻で笑って即座に暖炉の焚きつけにでもするだろうが、今の皇帝はそれが出来ないでいた。
チャーチルからの手紙を机の鍵付き引き出しにしまい、元から入っていた別の手紙を取り出す。改めて皇帝は手紙の内容に目を通しつつ髭を撫でつける。
――ヘルマンの小僧からの帝政復古への日も近づいているというこの手紙……このことを知ってのものであったのであろうか……であれば、朕のなすべきことは……。
皇帝は小さく呟くとお気に入りの安楽椅子に腰を掛けそっと目を閉じ思索に耽るのであった。




