とある英国の忠義の士
皇紀2586年6月3日 大英帝国
大蔵大臣ウィンストン・チャーチルの強硬論に押し切られる形でボールドウィン内閣の蒋介石の北伐に対して香港に臨戦態勢が発令され、インド・ボンベイに停泊する東洋艦隊東インド戦隊にシンガポール回航が命じられた。
昨年の5・30事件以来長崎を母港として東シナ海に展開する東洋艦隊チャイナ戦隊は長崎港に一度集結が命じられ、万全の補給を行った上で臨戦態勢を取り、いつでも出港出来る様に命じられた。
同じく東洋艦隊オーストラリア戦隊も母港シドニーを出港し、シンガポールでの補給を経て香港へ進出するように命が下っている。
数十隻の艦隊規模を擁する東洋艦隊が極東に展開することでイギリス権益の侵害に対していつでも対応出来るという姿勢を明らかにすることで5・30事件の様な事態が発生しないように牽制を掛ける意図である。
だが、イギリス本国政府の大方はこれ以上の事態の進行がないことを願っていたが、ただ一人逆の願望を抱いている人間がいた。彼は自国の利益のために戦火の拡大とそれによる介入の余地を虎視眈々と狙っているのだ。それも決定的なタイミングでの介入を狙い、それによって阿片戦争以来の快挙、そして名声を得ようと画策している。
彼にとって、東洋の蛮族が自分たちに楯突くなど許せないことであり、同時に祖国の栄光のためならば多少の犠牲も厭わないし、喜んで生贄を差し出そうとすら思っていた。
英ポンドの価値維持、そして帝国システムの維持と発展、それらを考え、大英帝国中興の祖という名誉を得る好機を逃すなど愚かなことであり、この機会を逃しては残された最後のフロンティアを掻っ攫われると考えているのだ。
彼、ウィンストン・チャーチルは呟く。
――我々の目的が何かと言えば、一言で答えられる。大英帝国の繁栄だ。どれだけ犠牲を出そうとも、どんな苦労があろうと、それが輝かしい勝利と栄光のために必要であるならば、いくらでも差し出そう。
賽は投げられた。今頃はインド兵を載せた輸送船がシンガポール、香港に向けて出港しインド洋を渡っている頃だろう。
チャーチルは思いついたかのように執務室の窓から外を眺める。ロンドンの空はどんよりとした曇り空であり今にも一雨来そうな感じだ。
――まったく国内情勢と同じで不愉快な空だ。だが、それも今の内だけだ。戦が始まれば景気が回復する。そうなれば……。
彼の信仰する神は一体どのような神であろうか……。




