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条約妥結

皇紀2582年(1922年)2月6日 アメリカ合衆国 ワシントンDC


 日本案(甲及び乙)によってアメリカの世論は沸騰、海軍及び財界の突き上げによって1ヶ月に及ぶ迷走を続けた。


 この間、アメリカ以外の参加国が会議を主導し、甲案及び乙案を軸とした最終案をまとめ上げた。会議は表向きでは甲案による妥結を目指しているかのように公表されていたが、アメリカ以外の参加国は乙案による妥結で利害関係を水面下で調整していた。


 大英帝国は16インチ砲搭載艦2隻を割り当て、アメリカにも同様に2隻が割り当てられた。フランス、イタリアにはそれぞれ旧式戦艦の代艦建造枠を2隻割り当てられた。ただし、条約発効後5年間は条約のバランスを取るため建造禁止とされた。


 これら水面下の動きにアメリカ側は神経をとがらせていたが、自国の結論がまとまらず、会議を主導出来なくなったアメリカにそれを阻止することは出来なかった。


 やっとアメリカの結論が出た1月末に日本の空母保有枠に関してアメリカが条件を提示してきた。


「日本に空母保有枠を認める代わりに16インチ搭載艦の追加枠をいただきたい。それで手打ちとしたい」


 アメリカ側の苦渋の決断であった。甲案を呑めば明らかにアメリカにとって優位性を失うことから陸奥の放棄を促したかったがイギリスの寝返りによって日本の陸奥保有はほぼ認められた状態となった今、見栄を張って甲案の受諾は出来ないと大統領の苦渋の決断によって国務省も海軍へ折れる形となった。


 この決定によって改めて条件を提示、これに反発するのであれば仕切り直しに持ち込もうと意図したのだ。


 この提案に日本側は条件を呑むことを了承し、乙案最終案にアメリカ提案を追加し、それをワシントン軍縮条約の妥結事項として署名締結することとなった。


「軍縮会議に参加している各国の一致した結論によって本会議が妥結したことをまずは喜びたい」


 アメリカ全権ヒューズは儀礼的にそう言った。


 彼の表情は言葉と裏腹に晴れ晴れとしたものではなく、憂鬱そのものであった。


「この会議によって太平洋、大西洋に平和がもたらされ、恒久平和の礎となることを願うものである。我が国としてはさらに踏み込んだものとしたかったが、各国の自存自衛を考えれば致し方なし」


 日本全権加藤友三郎は力強く記者団に向けてアピールした。日本が譲歩を重ね、アメリカ提案よりも踏み込んだ提案をしたが列強各国の都合、特にアメリカの態度を印象付けるためだった。


「各国の軍事力が均衡し、一国のみが飛び抜けた存在とならず、脅威とならないためにも今回の軍縮が意義あるものとしたい……二度とあのような惨禍を繰り返さないためにも……」


 イギリス全権バルフォアは軍縮条約で各国を縛ることによる意味を強調した。と、同時に抜け駆けは許さんと暗に明言していた。


 事実上、日英米の三ヶ国による三つ巴の外交戦はここに落ち着いた。だが、この条約によって日米の対立は決定的となったのであった。

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