有坂総一郎が出す美味なる料理
皇紀2586年5月10日 ドイツ=ワイマール共和国 エッセン
「何のことを言っておるのかは知らぬが、極上の実験場とは大きく出たものだ。兵器開発は実戦情報を踏まえた最適化こそ必要なことであるのは認めよう。だが、その様な大規模な実験など戦争でも起きなければ有り得ぬのではないのか?」
大砲王グスタフ・クルップの視線は鋭さを増す。
まるで有坂総一郎が「戦場を用意してやるからそこで兵器の実証試験をやれ」と言っている様にしか聞こえなかったからだ。
元外交官として、その様な発言は見逃すことが出来ない。ゆえに厳しい視線でそれを問うのである。
「貴方もクルップを継ぐお方です。その広い視野で見えているものがあるのではありませんか?」
総一郎はクルップの言葉を受け流す。
総一郎、そして東條英機大佐、平賀譲少将らにとって満州、華北の支那国家からの分離は既定路線であり、同時にその際に支那大陸に利権を持つ国家……大英帝国を巻き込むことは既定路線である。
時機さえくればすぐにでも行動を起こすために準備は進んでいる。
だが、それを態々教えてやる必要はない。
「貴国が関係するのであるからヒーナであることは容易に想像出来る。我が国も軍事顧問団を先年、かの地に送っている。半年前に広州の蒋介石が中央政府に反旗を翻したとも聞いておるが……まさか……」
「蒋介石ならば、近いうちに北伐を開始するでしょう。ですが、彼直率の兵は少なく、彼の兵だけでは大陸を席巻するには荷が重いでしょう。軍閥と妥協をして赤化した中央政府を打倒する兵を挙げるのが当面の彼に出来る精一杯でしょう」
クルップの視線は厳しさを増す。
「有坂君……君はこの内戦を長引かせるつもりか? それでヤーパンにとって利益になるのか? 貴国にとってヒーナが安定している方が貿易相手として魅力的ではないのではないのか?」
「我々にとって……いえ、大日本帝国、大日本帝国経済、そして我々の組織にとっては立場が異なるので一言で申し上げるのは少々難しいですね……私は大日本帝国の代理人ではあっても、外交官ではありません。国家の外交とは違う立場で自国の利益を追求しておるのです……」
クルップは少々見誤っていた。
総一郎が並べる料理はいずれも見た目も美しく、実に美味しそうなものであるが、その中にはわずかではあるが毒が混ざっていて、食べ続ければ何れ中毒を起こすか、衰弱すると気付いたのである。
ただの企業家であれば利益のために食べたかもしれないその料理ではあるが、皇帝の信任厚かった外交官であるクルップは手を付けてこなかった。
しかし、大砲王としての自分は、ここは是非乗っかっておくべきだと主張してくる。ゆえに思わず総一郎の提案に乗りそうになってしまった。
「唯一つ言えるのは、支那大陸は安定しておる方が我らにとって都合が良いのは事実」
「であるならば、蒋介石を支援すべきではないのか?」
クルップは正論を述べる。今の時点で支那大陸をまとめ上げることが出来る指導者は蒋介石以外存在しないだろう。そうなれば、ドイツと支那の関係から何れはお得意様としてクルップを始めドイツ企業の商品を買ってくれるだろう……と彼は考えていた。
「言ったでしょう……立場によってその都合は違うと……我々にとっては支那が安定する……は、貴方方にとっての安定するとは少々異なると思いますよ。天下三分の計を御存知ですか?」
言い終わった時の総一郎の瞳の黒さは先程までと全く異なりより闇に近い黒さとなっていた。
クルップは早急にこの会談を終わらせ、有坂系企業との関係を見直すべきだと考えていた。この男は危険だ。再び世界を戦争に引きずり込む可能性があり、その巻き添えにされかねないと……。
「我々にとって、支那大陸は3個か4個くらいの勢力でまとまって分裂していてくれる方が都合が良いのですよ。そして、それであれば永続的に我が国家に利益を供給してくる存在となりえる。それは我が大日本帝国だけでなく、大英帝国、フランス、そしてドイツにとっても同様であろうかと……なにせ、余剰な兵器を売る相手、しかも自分で製品を産み出せぬ買うだけの存在となるわけですからね」
「だが……」
クルップは口を挟もうとしたが失敗する。総一郎が言うことはドイツという敗戦国にとって悪くない取引材料である。失った植民地の代わりを得るに等しい提案ともいえる。
なぜなら、分割した支那国家をそれぞれがケツ持ちし、談合の上でけしかけ、冷戦状態や小競り合いを産み出せばそれからもたらされる利益は膨大なものになるからだ。
そして、総一郎の提案する実際の例として大英帝国領であるインドこそがまさにその状態だったからだ。イスラムとヒンズーの敵対、他民族の混住による相互不信と排他感情、これらによってインドという広大な土地は少ない兵力で効率良く統治されている。
「クルップさん、よく考えていただきたい。我々列強たる国家が裏で手を組んで、市場をコントロールする……その旨味を……それは我々兵器産業を抱える存在にとって理想的な市場ではないのですか? 今回の会談では妥協点を見いだせませんでしたが、聡明なる大砲王閣下はいずれ適切な回答をされると確信しております」
総一郎は畳みかける様に続ける。
「私はそろそろこの欧州から帰国する予定ですが、その途上、大英帝国に立ち寄るつもりです。その際に英国企業にも接触しますが……彼らは喜んで飛びつくでしょうな。蜜にむらがる蟻の様に……なにしろ、先年の反英暴動の怒りが彼らにはありますからな」




