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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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199/910

大砲王

皇紀2586年(1926年)5月10日 ドイツ=ワイマール共和国 エッセン


 つかの間の休日……有坂夫妻にとってはあまり落ち着かなかった……が終わると再び彼らはドイツ国内での行動を開始する。


 彼らの目的は名門クルップ社。


 クルップ社といえば、幕末以来の付き合いがあり、日本国家はお得意様なのである。幕府海軍最強の軍艦開陽に搭載された大砲は榎本武揚や赤松則良らの交渉によってクルップ社の大砲が選ばれ、そして彼らが帰国後に起きた戊辰戦争でその力を発揮したのである。


 以来、日清日露の戦役でもクルップ製大砲は帝国日本を支えてきたのである。


 だが、国産化著しいこの時期の日本にとって外国企業との付き合いは薄くなり、クルップ社との関係もそれほど良好ではなかったのだ。


 もっとも、この時期はクルップ社にとっても生きるか死ぬかの瀬戸際の時期であり、本業の製鉄以外の収益の柱である軍需は制限を受け、頼みの綱の武器輸出も制限されていた。しかし、それを座視するほどクルップ社は甘いものだけで構成されていたわけではなかった。彼らにとってこの時期は試練の時期であったが、次なる飛躍のための準備期間でもあった。


 クルップ社を束ねる指導者、グスタフ・クルップは経営の多角化を推し進め、制限され需要の減った軍需の代わりに農業機械、一般消費資材などへ経営資源を投入し、再起を図ることとしたのである。


 だが、彼もまたクルップの名を継ぐ男。如何に婿養子であるとは言っても、クルップの名を継ぐというのは大きなものを背負うことであると彼は知っていた。


 クルップといえば大砲、クルップといえば製鉄……その祖業を疎かにするなど彼には出来るものではなかったのだ。しかし、現実は厳しく、敗戦国ドイツを警戒する隣国は事あるごとに干渉を繰り返している。


 だが、戦勝国にも隙はあった。


 敗戦国ドイツが兵器開発をするのには支障があるが、中立国だった国家の企業が兵器開発を行い、それを生産、使用するのは何の問題もなかった。


 彼はそれをうまく利用し、スウェーデンのボーフォース社に出資し、ここを拠点として兵器開発を始めたのである。有名な8.8cmFLAKはこうして誕生したのである。そして、同様の形で、彼は戦車開発、潜水艦建造を企むのである。


 そんなクルップ社であるが、この世界でも同じように展開しているのかは未だ定かではない。しかし、東條英機大佐の電報に従って有坂総一郎はグスタフ・クルップを訪ね、ここエッセンまで赴いたのである……。

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