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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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ダイムラー・ベンツ・アリサカ

皇紀2586年(1926年)5月1日 ドイツ=ワイマール共和国 ベルリン


 有坂総一郎はカール・ベンツとの会談で出資を約束した。これにより、DMG社とベンツ・シー社の合併は前倒しされ、同時に有坂重工業の資本参加によって財務体質は強化されることとなった。


 新社名はダイムラー・ベンツ・アリサカと命名され、出資比率は35:35:30とし、有坂重工業は単独否決権こそ保有しないが、大規模な出資を引き受けることとなった。


 この結果、ダイムラー・ベンツ・アリサカはドイツでも有数の企業規模となり、工場拡張、自動車産業以外への進出も可能となったのである。


 総一郎はただ出資するだけではなく、ヘルマン・ゲーリングの居場所を確保するため、ダイムラー・ベンツ・アリサカの有坂側代理人として指名し、これを承諾させた。これによってゲーリングに定期的な収入が発生し、同時に産業界への口利きをより容易にすることが出来るのである。


 しかし、旧DMG側はこれに難色を示した。


 現状、ドイツ国内で活動出来ず、オーストリアに亡命中のゲーリングでは自社にとって何ら利益にならないため、これを認めるのは難しいと申し立ててきたのだ。


 だが、総一郎はベンツと裏取引をしており、彼の助力を得て不承不承ながらも旧DMG側にこれを認めさせたのである。


「有坂の要求は全く過酷なものではない。我々の自主性を優先すると言っておるし、無茶苦茶な要求などしないと明言しておる。彼の小さな要求一つ飲めないのであれば、彼はこの私を通じてDMGそのものを買収することすら企むだろう。それで自主性を失うくらいなら、代理人という経営権もない名ばかりの役職一つくらい構わんだろう? それにゲーリングに払われる対価は元々有坂の出すカネなのだからね」


 ベンツのこの言葉にDMGの面々も黙るしかなかったのだ。


 これによってダイムラー・ベンツ・アリサカは正式に1926年5月1日に誕生したのであった。


 余談であるが、史実におけるDB601の発展形式であるDB605に相当する液冷発動機を1938年の段階で製造することに成功している。ただし、DB系発動機の性能向上に悪影響を及ぼしたモーターカノン搭載機構は廃止されている。

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