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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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191/910

加藤高明死す

皇紀2586年(1926年)2月3日 帝都東京


 年が明け、加藤内閣は前年に明言した加藤声明、大角声明に従い、前弩級戦艦の廃艦を改めて明言、水面下で交渉を進めていたタイ王国に敷島、朝日を売却、チリ共和国へ鉱物資源とのバーター取引で薩摩、安芸を譲渡することを正式に表明。


 また、帝国議会においてロシア亡命政権(鳥取政府)の独立時機についての方針演説をし、大日本帝国の準備が整い、財政基盤の整備が完了する夏を目処とし、キリル大公の誕生日である10月12日に建国式典を行い正式な建国とすることを決定した。


 だが、精力的に職務に邁進していた加藤高明であったが、史実同様、帝国議会にて演説をした後、体調を崩し静養していたが史実の没日から2日後の1月30日、急な病状悪化によって死去するのであった。


 この事態に臨時内閣が組織され、若槻礼次郎が臨時総理となり当面の執政を司ることとなったのであるが、数年来病床に臥せっている大正天皇の容体も合わせ大日本帝国は重苦しい年明けとなったのであった。


 2月1日、臨時内閣を経て正式に若槻礼次郎内閣が発足した。


若槻礼次郎内閣


 総理大臣 若槻禮次郎 憲政会


 大蔵大臣 濱口雄幸 憲政会


 外務大臣 森恪 立憲政友会


 内務大臣 若槻禮次郎 憲政会


 陸軍大臣 宇垣一成 陸軍大将


 海軍大臣 大角岑生 海軍中将 


 司法大臣 小川平吉 立憲政友会


 文部大臣 岡田良平 貴族院


 商工大臣 高橋是清 子爵 立憲政友会


 農林大臣 町田忠治 憲政会


 逓信大臣 安達謙藏 憲政会 


 鉄道大臣 仙石貢 憲政会

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