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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2586年(1926年)

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対支那経済支配戦略構想<4>

皇紀2586年(1926年)1月5日 帝都東京 有坂邸


「いや、それはわかるのだが……うむ、我が帝国陸軍、そして帝国政府が取り組んでいた……それが上手くいかなかったのはわかった。では、有坂、貴様はどうするつもりなのだ? まだ蒋は実権を握っていない。それに前世と違って大英帝国と支那の関係は拗れておるぞ?」


 東條英機大佐は尤もな疑問を口にする。


 有坂総一郎の提案は実際に史実の帝国が行ったものの焼き直しに過ぎない。成功の可能性が少なく見える東條にとって懐疑的になるのは当然のことだった。


「いえ、もっと単純な話ですよ。前世の失敗は傀儡政権、傀儡銀行による通貨の発行をしていました。当然、信用度が最初から低いのです。信用のない通貨を使う人間はいないでしょう?」


「それはそうだな……紙切れになるかもわからない通貨よりも後ろ盾のある通貨の方を選ぶ」


「そういうことですよ。だったら、最初から信用出来る通貨をバラまけば良いのです。そして、それを浸透させてしまえば自然と華北の経済がそれを使う様になる。つまり、日本円で華北の産品を買い付けて、日本円が流通する環境を整えてしまえば良いのです……」


 辛亥革命による清帝国の崩壊と中華民国の成立という歴史的流れがあるが、支那国家の銀本位制は継続され、袁世凱、張作霖などの北洋政府、孫文らの国民政府においても銀円の流通が継続されていた。それとともに各地の軍閥、地方銀行などによってこれらとは別の紙幣が発行され、支那大陸は統一通貨が存在しない状態となっていたのだ。


 だが、史実では北伐が完了し権力を掌握した蒋介石が昭和8年(1933年)に廃両改元という通貨改革を行い、銀円が統一通貨と定められた。


 しかし、昭和4年(1929年)の世界恐慌が始まると米大統領ルーズベルトは昭和9年(1934年)に銀の回収を定めた法律(「銀買上法」)を議会で通過させ、財務省による銀の備蓄・退蔵が行なわれた結果銀の国際価格が大幅に上昇する。


 米国による銀買上法の余波をまともに食らったのが中華民国であった。


 世界第三位の銀本位制国家であった中華民国から銀が大量に流出し、デフレの進行、利息の急上昇によって銀行の休業が相次ぐようになったのである。まさに金融危機前夜である。


 これに対応するため昭和10年(1935年)11月4日に国民政府は、銀国有化と紙幣の使用強制を義務化させる『財政部改革幣制令』を布告したのである。


「この世界でも恐らくは前世同様に世界恐慌が発生し、それに伴って銀流出が起きるでしょう……そうなれば国民政府、蒋介石は前世同様に銀行家に唆されて通貨改革に踏み切るでしょう。そうなれば手遅れです」


 総一郎は時間がないと東條に迫る。


 世界恐慌発生まであと3年……。そして恐らくは史実同様に経済的に無策であろうフーバー政権が倒れ、我が帝国にとって災厄とも言うべき魔王(F・D・ルーズベルト)が降臨するまであと7年である。

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