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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2585年(1925年)

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親衛隊

皇紀2585年(1925年)11月9日 ドイツ=ワイマール共和国 ミュンヘン


 この日、史実通りにナチ党は指導者アドルフ・ヒトラーの警護組織として親衛隊を創設した。だが、史実と異なり、その規模や権限は大幅に拡大していたのである。


 史実において親衛隊は僅か8名から発足し、共産党によるナチ党襲撃といった事件を経て全国組織に整備され、25年のクリスマス時点で1000名というものになっていたが、この世界では異なった経緯を歩んでいる。


 オーストリア・インスブルックに亡命中のヘルマン・ゲーリングを通じた資金工作によって史実よりも潤沢な資金が供給され、同時にゲーリングの精力的な周旋活動によってナチ党が史実以上に急速な発展を遂げていることもあり、ナチ党の基盤は本拠であるバイエルンのみならずドイツの心臓部であるプロイセンに橋頭堡を築いていたのだ。


 これによってプロイセンの在郷軍人は再就職先として有望なナチ党組織に押し寄せる様になったのである。また、先年のルール占領に伴うボイコットによって職を失った者たちの拠り所ともなり、ナチ党の支持基盤は拡大していたのだ。


 だが、支持基盤が広がっても彼らを統括する組織は弱く、代わりに指導者としてのヒトラーを結束の象徴に祭り上げることで彼らを制御するという方法を取っていたのだ。そこで、音頭を取る役割として親衛隊という存在をヒトラーは思いついたのであった。


 親衛隊に入隊することで党における役職、就職先の斡旋など特典を暗に仄めかすことで、希望を失った民衆に一筋の光明を見せ、それを党への忠誠、そしてヒトラー個人の崇拝に結びつけようというものだったのだ。


 ある意味ではナチ党という政党をヒトラーの個人組織に塗り替えるものともいえる。


 史実では、こういった受け皿に親衛隊だけでなく突撃隊もあったが、この世界では突撃隊は存在していない。ゲーリングの資金工作によって彼らの活動基盤が縮小、人望を失ったことと、ヒトラーの出獄によって遂に解散を命じられたからだ。


 これらの小さな変化が、問題行動を起こしナチ党を分裂の危機に陥れた突撃隊の解体に結びつき、結果としてナチ党の強化に結び付いたのだ。


 また、ヒトラーは親衛隊の正式発足と同時に党内警察組織としての役割を与え、同時にエリート集団としての役割をも担わせると明言した。これによって、親衛隊内部にもいくつかの部署が置かれることとなったのだ。


 次代の政治を担う官僚としての内務親衛隊、武力を用いる武装親衛隊、そして秘密警察と党内警察を担う保安親衛隊。


「親衛隊諸君、諸君らが我が祖国、ゲルマンの鉄の意志、鉄の結束を遍く世界に示すことを私は望む」


 結成の式典の最後にヒトラーはこの様に演説して締めくくった。


 ヒトラーはナチ党とその政治家たちを信頼していなかったのだ。彼は自身の信用出来る組織として親衛隊を重く用いようと群衆を見渡しながら決意したのであった。

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