どっちも同じ
皇紀2585年5月7日 帝都東京
銀座に松屋呉服店が開店してから1週間。普段から三越や白木屋に出入りする有坂結奈であるが、この日、松屋へ出掛けるのであった。
「随分内装が豪華なのね……Wikipediaで知っていたけれど、想像以上ね」
結奈は上機嫌で踊りださんばかりに軽快な足取りで館内を闊歩する。
「結奈、普段から三越とかに行っているんだからそんなに珍しいものがあるわけじゃないだろ?」
夫婦のデートという名目で連れ出された有坂総一郎は軽快な足取りの結奈と違って歩みは遅い。
彼の足取りが重いのは単純に混雑でウンザリしているからであった。よく女性の買い物は長いと言われるが、結奈の場合、これは当てはまらず、総一郎にとっては結奈との買い物は苦痛ではないのが救いだ。
「だって、楽しいのだもの……現代の松屋とは違って、本物という感じがしない? 一応同じ建物なのに、こちらの方が素敵なのだから興奮しない方が嘘よ」
松屋は占領軍の接収解除後に開業当初の豪華な内外装をすべて廃止されその特徴を失っていた。一部に原型をとどめているが、最早別物ともいえる改装を幾度か経験している。
そのため、ステンドグラスや柱のモザイクなど美しい装飾に結奈は魅了されているのだ。
「結奈、今日ここに来た理由は買い物じゃなくて建物の見物だったのか?」
「ええ、そうよ。折角この時代に生きているんだもの、歴史の一ページに立ち会う喜びと興奮がたまらないわ。あなたもそうでしょう?」
結奈の目的が分かった総一郎は物好きだなと思いながら好きにさせてやろうと心に決めた。結奈は時折心の向くままに行動するときがあるが、今日もそれだと総一郎は察したのである。
「まぁ、君の好きにしたらよいさ。この後、赤煉瓦に洋食を食べに行こうと思っているけれど……」
「ハヤシライス?」
赤煉瓦……ハヤシライスの元祖もしくは本家ともいえる洋食屋だ。総一郎はここのハヤシライスが好物であった。
「だめかい?」
「昨日も食べたじゃない? 私が作ったものは気に入らなかったの?」
実は前夜にも彼らはハヤシライスを食べていた。
「いや、結奈の作ったのは確かにハヤシライスだが、私が食べたいのはハッシュドビーフの方だよ」
「どっちも一緒じゃない!」
「微妙に違うよ……ドミグラスソースかトマトソースかどっちが主軸かって……」
結奈は呆れた表情だった。
時折、総一郎はこうやって結奈に料理で困らせることを言うのである。
「作る側の身になってから言って欲しいわね……現代と違って色々と面倒なのよ? 現代なら1時間で作れるものもこっちじゃ数時間かかるのを忘れてない?」
いくら試作した家電を用いているとは言え、基本は大正時代ベースの台所だ。出来ることと出来ないことの壁はそう簡単に越えられない。まして材料の入手難易度たるや想像を絶する水準である。
カレー一つ容易に作ることが出来ない時代である。
「あー、うん、反省しています」
「わかれば宜しい。さぁ、行くわよ」
結奈は松屋の内外装を十分に堪能したらしく買い物一つせずに総一郎の手を引いて松屋を後にするのであった。
赤煉瓦……銀座の老舗洋食屋をイメージしています。そのまんまですがね。




