一難去ってまた一難
皇紀2584年8月20日 帝都東京
陸海軍で動きがあった数日の後である。
この日、赤坂の料亭にて東條英機大佐と平賀譲少将は会談を持った。
「いや、軍神様には参ったよ……あれも老害だと言われているが、それなりにモノを見ることができる人物だから面倒なところを突かれて困った……鈴木貫太郎大将の口添えがなかったら潰されていたかもしれん」
平賀は先の海軍トップ相手の講話での一幕を東條に話し、薄氷を踏む思いだったと吐露した。
「確かに戦艦に比べ空母は見た目は安く上がるのでしょうが、搭乗員育成という裏方仕事で結構なカネが消えますからね……これは陸軍でも同様でしょうな。しかし、なんとか空母の方向性は打ち出せて軍神様の同意を取り付けたことは大きいと思います」
東條は平賀の功績を素直に讃えた。
だが、同時に東條は海軍が抱える次の問題に漠然とした不安を感じずにはいられなかった。
「あぁ、あれで押し切られていたら不味かっただろうが、戦艦を造れない以上は戦艦を補完する戦力が必要なことは誰の目にも明らかだったからなんとかなった。問題は電探だよ……確か今年だったろう?」
「ええ、今年、東北帝大の八木研究室に講師として就任した宇田氏が研究中に発見するはずです……26年の研究発表と特許申請でしたでしょうか……彼らの下に工作員を派遣していますから、直に情報が入ってくると思います。問題はこれを秘匿し、彼らを保護し、電探の開発へとつなげることですが……」
「容易には進まないだろうね……」
彼らが頭を抱え悩ます問題。八木宇田アンテナとその理論の流出阻止と電探開発である。
そもそも電波兵器の源流は日本にこそあったのだが、誰一人その価値を理解出来ず、闇夜に提灯論をかざして見向きもしなかったのだ。
結果、電探開発に1歩どころか三歩も四歩も遅れ、苦労の末やっと開発出来た量産型電探である22号電探は「日本はこのレベルのものを使っているから戦争に負けたのだ。本国ロンドンではアンテナが回転して映像が画面に映るような、もっと良いものが市販されている」と英連邦軍の士官に馬鹿にされる始末であった。
「電探技術……いや、真空管やマグネトロンの開発も進めなければならない……アレが欧米から戻って来たら呼び出して動き始める必要があるな……。造船も電力に余裕がある様に設計せんといざ搭載するときに不味いしのぅ」
「最低でも前世における海軍の13号電探程度は早い段階で実用化出来ないと……陸軍の電探は海軍よりも探知能力が高かったとはいえ、旧式な技術を用いていたことで発展性がなかった……それでは不味い」
いくら彼らであっても専門外のことはあくまでも上辺での話しか出来ない。ここに電探の技術者でもいれば話は違うだろうが、そうそう転生者がいてもたまらない。
彼らは軍機破りで自分の持ちうる情報を交換し、今後のことを詰めていった。




