ヘルマン・ゲーリング
皇紀2584年8月 オーストリア
「私は大日本帝国陸軍少佐石原莞爾であります」
突然来訪した石原莞爾少佐をヘルマン・ゲーリングは驚きを隠さず、同時に歓迎し自邸内へ案内した。
「遠路はるばる来られたというのに、斯様な狭い小屋同然のアパートに案内するのは少々心苦しいものがあるが、歓迎致しますぞ」
ゲーリングは石原へ着席を勧める。部屋には狩猟趣味が反映されており、鹿の剥製が壁に飾られており、すぐ横には狩猟用の猟銃が据え置かれている。
「ほぅ、ゲーリングさんは狩猟をなさるのですなぁ」
石原から話を振られ上機嫌にゲーリングも応じる。
「ええ、この通り、今は亡命生活ですからな……行きたくても行けないのでこうして眺め見るにとどめておるのですよ」
彼は史実においてナチ党が政権を握った後、現代ドイツでも存続されている狩猟法を制定し、狩猟に関する規制、動物保護と繁殖を推進し、同時に自然保護に力を入れていた。だが、それも彼の貴族趣味によるものであり、彼自身は狩猟を好んでいた。彼は狩猟をするが乱獲や残虐な狩猟は好まなかったのだ。
鹿の剥製を見るゲーリングの目はどこか遠くを見ている様である。
「盟友のヒトラー氏のことを考えておるのですかな?」
石原の言葉にゲーリングは一瞬動揺したが、すぐに落ち着き石原の問いに答える。
「ヒトラーは大丈夫だよ、ランツベルク要塞監獄でピンピンしているそうだ。だが、私は彼のもとに駆け付けることも出来ない……党を好き勝手しておる裏切り者どもの方が私には心配だよ……」
「ほぅ、レーム氏らのことですな?」
ゲーリングは警戒するように石原を睨む。石原はそれに怯むことなく飄々としている。
この世界でもミュンヘン一揆後の展開は史実とほぼ同じく動いている。エルンスト・レームがゲーリングに代わって突撃隊を再編し私物化しているのも変わっていない。
「あぁ、そうだよ。東洋の御客人……」
ゲーリングはふっと溜息を吐き石原の問い掛けに応じた。
「先日、イタリアのムッソリーニを頼ったのだが、あの男は一揆に失敗した我らには何の興味も持っていなかったようでね、門前払いされた……私はヒトラーの期待に応えられなかった」
「ですが、我らがおりますよ……これは当座の活動資金……あなたが根回しを進めるのに役立てていただきたい……」
石原は有坂総一郎から預かった資金を提供した。
目の前に積み上げられた現金、ドル札の束を見たゲーリングは石原の真意を探ろうとする。
「石原、これは大日本帝国政府もしくは帝国陸軍からの工作費かね?」
「いえ、これは我が帝国のとある企業集団からの工作費です……我が帝国政府や帝国陸軍は無関係……私はただの使者でしかないのですよ」
ゲーリングは石原の言葉に困惑を隠しきれなかった。
常識的に考えれば、石原はエージェントであり、ゲーリングを、ナチ党を大日本帝国の傀儡にしようとしている筈だ。だが、石原は企業集団からの工作費だという。
「いずれ、私も帰朝することになりますから、次にあなたを訪ねてくるのは別の人物であろうと思いますが……お互いに協力関係を結ぶことが出来れば、結果として我が帝国にも、そしてドイツにも利益が生まれると思いますな」
「一体何が望みなのだ?」
真意を読み取ることが出来ず困惑したままのゲーリングだった。
「私も何をあなた方に期待されているのか、依頼主から聞いておらぬものでしてなぁ……まぁ、いずれ改めて要望をお伝えすることになると思いますぞ……それまでは、あなた方には生き残って頂かなくてはなりませんからな」
ゲーリングは得体の知れない石原に言い知れぬ何かを感じつつもそれを認めることが出来ずにいた。認めてしまえばきっと現実になると彼は確信していた。




