山吹色の最中
皇紀2584年8月 オーストリア
オーストリア・インスブルックにとある人物が潜伏している。
彼の名をヘルマン・ゲーリングという。彼は先のミュンヘン一揆の失敗によって国外逃亡し、ここインスブルックで亡命生活をしている。
史実であれば彼は警官隊の銃撃で腰に銃弾を受け、深刻な重傷を負い、ここで手術療養をしていたのだ。だが、この世界では彼は幸運にも警官隊の銃撃を受けたにも拘らず、彼の近くにいた突撃隊員が身代わりになったことで彼は無傷であった。
そのゲーリングを訪ねてきた東洋人がいた。
「ごきげんよう、ゲーリングさん」
羽織袴姿でゲーリング邸を訪ねた人物……駐独武官である石原莞爾少佐である。
石原がなぜ、ここインスブルックへ居るのか。その発端は7月に遡る。国策企業団と陸軍視察団が欧州歴訪の際にドイツへ立ち寄った時のことである。
有坂総一郎がべリリンの日本大使館へ出向き、その際に東條英機中佐の紹介状を見せ、石原に会ったのだ。
「東條の紹介だぁ? 永田の金魚の糞だったあの男か……そう言えば最近永田と疎遠だと聞くね。なんでも、内務省と仲良くやってるそうじゃないか、相変わらず軍人らしくない融通の利かないくせに目端の利く官僚みたいな奴だよな!」
この世界でも石原と東條は基本的に仲が悪いものである様だ。
「石原さん、私は東條さんを支援している立場にありまして、彼もまた、ある目的のために私と協調関係にあります……そして、東條さんはあなたがきっと役に立つはずだ……まぁ、アイツは私を嫌っているだろうが……と言っておられましたよ」
「お前さん、随分、アレに好かれているようだね……まぁ、確かに俺はアレが有能だとは思ってはいないし、まぁ、そもそも無能な上官ってのが大嫌いなんだがな……だが、まさかアレも俺を嫌っているとは思っていたが、それなりに評価していたんだな。驚きだよ」
石原の東條嫌い……いや、単純に無能が嫌いなだけで、東條個人を馬鹿にしているだけなのだろう……筋金入りだったとは……。
石原が陸軍の上級将校の批評を始めてしまったため、総一郎は話が進まないと感じ、用件を切り出すことにした。
「石原さん、陸軍上層部に不満があるのはわかりました。ええ、東條さんも同じことを言ってますから理解出来ますよ……それで、私がここに来た理由なのですが……とある人物に渡りを付けていただきたいのです」
前のめりに体を乗り出してきた総一郎の様子に、石原は腕を組みなおした。
「ほぅ、そうは言うが、俺は今はここドイツ駐在だ。陸軍で人脈を作りたいなら、ホレ、あの英雄将軍様とか東條を頼ったらどうだ?」
自分では協力出来ないと石原は手を振り首を振る。
「いえ、あなたに繋がりをつくって頂きたいのは、とあるドイツ人です」
興味を引かれたらしく石原の目の色が変わった。とても表情豊かな人物だ。
「今はオーストリアのインスブルックに亡命している御仁……先の大戦の英雄であり、ミュンヘン一揆に関わってドイツには居られない立場の人物……」
「……ヘルマン・ゲーリング……か? はっはっはっ! これは面白い!」
石原は笑い出した。
「いいだろう。オーストリア方面の情報収集も仕事の内だ。君はなかなか面白いことを考えるな。ふむ、渡りをつけるだけでいいのか?」
石原は「お前の望みはそんなもんじゃないだろう?」と表情で訴えて来ている。
「出来れば、国家社会主義ドイツ労働者党の再建と政権獲得へ助力出来る体制を望んでいます」
総一郎は史実よりも早期にドイツにおいてナチス政権の誕生もしくは基盤を作りたいと考えていた。
そのキーパーソンとなるのがゲーリングであるのだ。彼の航空関係への人脈と航空機開発への注力は史実においてもドイツの再建に大きく寄与している。同時に、上流階級に訴求力が足りないナチス党にはなくてはならない人物である。
総一郎はゲーリングという仲介者を造り上げることでドイツからの技術供与に大きく寄与すると考えていた。
「なるほど、連中を誑し込んでドイツにおける親日勢力を造り上げるのが目的か……わかった。やってやろうじゃないか」
「宜しくお願い致します……それで、これが当座の活動資金です……ゲーリング氏であれば使い道を理解出来ると思います……あとはこれは石原さん、あなたへの付け届け……今後はあなたとも懇意にさせていただきたいと……」
総一郎は脇に置いた鞄から石原用に用意した菓子を手渡した。
「石原さんはこちらがお好きと伺いましたゆえ……山吹色の最中でございます」
そう言いつつニヤリと笑みを浮かべる総一郎だった。
「そちも悪よのぅ……越後屋……」
お約束の会話である。




