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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2584年(1924年)

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ドーズ案とライヒスマルク

皇紀2584年(1924年)8月 ドイツ


 国策企業団と陸軍視察団が欧米歴訪している間に国際社会は史実通りに動いていた。一部の例外を除いて……。


 ドイツの賠償問題に英米は業を煮やして、ルール地方の占領状態の解消とドイツ経済の安定化を図る意図からクーリッジ大統領はドーズを委員長とする特別委員会を成立させ、新賠償方式が作られることとなった。


 ドイツ賠償金支払い問題は、賠償金を受け取る側であるイギリスやフランスよりも、実態としては賠償金を基に立て替えた戦費の償還を受ける側であるアメリカの問題となっていたのである。


 国内のドイツ系国民の不満もあるが、いつまでもルール地方を占領して強盗同然の振る舞いをするフランスとベルギーへの不信感もまた急速に拡大しているという背景があったのだ。


 ドーズは最初に手を付けた問題はルール地方からのフランス・ベルギーの撤退であり、これがなくばドイツに賠償金支払いの要求など出来ないと強硬な態度でフランスに迫った。アメリカの強硬な態度にフランスも最初は抵抗を示したが、イギリスの横槍によって渋々受け入れることとなる。


 同時にドーズはドイツへ賠償金支払いを2年間猶予するとともに支払い再開時に年間10億マルク、その後順次支払額を引き上げることを提案し、これをドイツは受諾する。また、マルク相場を安定させるため、外貨での賠償金送金は為替相場を害さない範囲でのものとした。これはドイツ側に非常に便宜を図られているものだった。為替相場が混沌としている時には賠償金支払いを延期出来るということだからだ。


 そして、ドイツに金本位制への復帰を要求し、それを担保させるため米英にてドーズ公債が起債されることとなった。これを原資としてドイツは通貨改革を実施する運びとなったのだ。


 この通貨改革でライヒスマルクが誕生し、レートは1兆マルク=1レンテンマルク=1ライヒスマルク=2.79分の1グラムの金塊とされたのである。ここにルール地方占領から始まったドイツ経済の麻痺状態は解消へと向かうのである。


 だが、これはあくまでドイツのための慈善行為ではなく、アメリカが確実に資金を回収するための算段でしかないのである。


 そして、イギリスもまた、アメリカと同様に確実に賠償金を支払わせるための手段として乗っかっているだけであった。そう、英米によってフランスは悪役に仕立て上げられ、ドイツ国民の憎悪の感情を英米へ向けさせずフランスへ向けさせるという一種のスケープゴートであったのだ。


 そういう意味ではフランスの一人負け状態だった。

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