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 第一話 誕生と命名

 

 最初に頭によぎったのは、死んだ。と言う、半ば反射じみた思考だった。

 次に感じたのは、暗い。という事。


 (まあ、死んだのだから、それも当然か)


 頭の中ではどこか冷静に、そういうものなのだろう。という、諦観にも安堵にも似た思いがよぎる。


(どうやら、本当に死後の世界はあるらしくて、ほっとした。地獄に落ちるのも恐えけど、あのまま消えて無くなっちまうのに比べれば、大分マシだ)


 どこか懐かしい温もりを感じる暗闇の中で、オレは取り留めも無くそう思っていると、ふと自分の体が何かの力に引っ張っられているのを感じ、その力に流されるままに体中の力を抜く。

 何か理由があった訳では無い。ただ、直感的にそうしなければならないと思ったのだ。

すると、どこからとも無く女性が唸るような、嗚咽をもらすような声が、悲鳴と共に聞こえてきて、やがて、自分の体が外に出た事が分かった。どうも眼を開ける事が出来ず、瞼から透かして見える光が、微かに自分が今いる事を教えてくれる。

 そうして、その暗がりの中から外に出たオレは、不意に自分の体が大きな歓声とともに何か大きな手に抱き上げられることを感じると、そのまま手から手へと自分の体を手渡され、最後に一人の女性の胸に抱きかかえられていた。


「良かった……。無事に生まれてくれた……。私の、赤ちゃん」


 自分を胸に抱きしめるその声を聴きながら、オレは我が耳を疑わずにはいられなかった。


(どういうこった!二十五歳のお巡りさんをとっ捕まえて置いて、赤ちゃんは無いだろ!?つーか、眼が見えないからわからねえけど、こいつ等手はデカいわ、目を見えなくするわ、人に対して、無遠慮し過ぎじゃねえか!こいつは、公務執行妨害とか、現行犯どころの騒ぎじゃねえぞ!)


 頭の中で混乱を巻き起こしながらもオレは、その実、それと同時に自分の頭のどこかでは冷静にこの状況を受け入れてもいた。


(まさか、これは転生ものって奴かよ?オレは死んでどこぞに生まれ変わったつーのか?)


 頭の中によぎるのは、ライトノベルで最近よく目に着つくようになっているジャンルだった。

 確かに、状況的に見れば、電車で轢かれたはずの自分が病院のベッドの上で目覚めることも無く、いきなり赤ちゃん呼ばわりされるように成れば、そう言うことも考えられなくはないのかもしれないが、だが、いま現在のオレの状態では、それが事実かどうかを確認する術がなかった。

 何しろ、実際に今現在、自分の両眼は見えていないのだ。 

 声だけで状況を判断しろというのが、無理な話というものだった。


(ひとまずは、様子見だなあ……。何はともあれ、今すぐに殺されるわけでも、取って食われるわけでもなさそうだしな……)


 こうしてオレ、こと、柊・岩志の第二の人生が始まったのだった。


ーーーーーーーーーー※ーーーーーーーーーーーーー


 オレが、転生らしきものを経験してから、一か月が経った。

 流石に、これほどの時間が経てば自分が転生しているという事を受け入らざるを得なくなった。

 あれからようやくまぶたも開くことができるようになり、視力を得て来た自分の体であるが、改めて見た自分の体は元の体とは完全にかけ離れたものであった。


 やはり体は全体的に縮んで赤ん坊のそれであることを実感させるものであり、初めて鏡を見た時の衝撃は今でも忘れられない。

 

 何しろ、身長は百八十手前まであった、やや筋肉質のむさ苦しい男の顔が消え失せ、体中が丸味を帯びたぷにぷにとした二頭身になっているのだ。そればかりか、二つの両眼はカラーコンタクトもつけていないのに、日本人全開の黒眼から、宝石のように鮮やかな翡翠色になっているのだ。


 だが、鏡を見て何よりも驚いたのは、その耳で有ろう。


 頭の上にぴょこんと生えた、黒い毛に覆われた三角の耳。


 否、耳だけではない。尻の方に目をやれば、耳と同じく、黒い毛に覆われた長い猫の尻尾が伸びており、オレの意思と感情のままにちょこまかと動くのだ。


 最初は飾り物かとも思ったが、手をやれば肌を突き抜けて骨にまで食い込んでいる感触のするその猫耳と尻尾に、最初は口をあんぐりと開けて驚いたものである。


「あらあら、この子ったら、そんなに鏡が珍しいの?大丈夫、此処に映っているのは貴方よ。可愛いでしょう?きっと、将来は女の子に引く手あまたにされるわね」


 そんなオレを胸に抱きながら、この世界での母である女性は、鏡の中の像とともに柊に向けて、そう楽し気に笑いかけるのだった。

 新たな母である女性の頭の上にも、柊と同じく黒猫の様な耳と尻尾が生えており、彼女の感情を表す様に時おり小刻みに震えるのだ。

 新しい人生での母となった女性の名前はナフルエルハドーラという名前で、愛称は、ナフル。

 名前の意味は『緑の泉』といい、この世界、というか少なくとも今、柊がいる地域においては、美しい女性を形容し、賞賛されるときに使われる言葉らしい。

 実際、彼女は今のオレと同じく、黒髪に翡翠色の瞳と、白皙の肌に艶やかな赤い唇が印象的な美女であり、体形も、とてもひと月前に出産したばかりとは思えないほどのナイスバディである。


 そんな美しい母を持った第二の人生であるが、現状はそれ以上に特筆することが無い。


 というのも、生まれたばかりでまだ体を自由に動かすことができない、というのもあるが、それ以上に、どうも、このナフルという女性はどうやらそこそこに身分の高い人間らしく、侍女やら侍従らしき人影が頻繁に出入りして身の回りの世話を焼くから、どうしても行動の自由など無く、誰かに抱かれている以外ではベッドの上から降りることは無い。


 強いてわかること言えば、今いる部屋が煉瓦や木でできた家ではなく、布と柱とを組み合わせてできた、遊牧民族のゲルに近い天幕であるという事と、周囲の置物とか装飾品などいった品々から、どうも中東っぽい雰囲気を感じることだけである。


 はっきり言って、暇である。


 早いところ行動の自由くらいは確保したいので、目下のところはハイハイの習得を目指して、ベッドの上で手足を滅茶苦茶に動かすのが、オレの日課になっている。


「あらあら、そんなに頑張って、どこに行こうとしているの?私の赤ちゃん。そう焦らくなても、すぐにお外に連れて行ってあげるから、もう少しだけ、待っていて頂戴な」


 そんなオレの様子を見る度に、ナフルは心底楽しそうに笑うと、ベッドの上でバタつくオレを抱き上げるのだった。

 ちなみに、今のオレにはいまだに名前は着いていない。


 この世界での名前というのは、転生前に居た日本とは違って、かなり重い意味を持つものであるらしく、時には、名前によって一生を左右することさえあるという。

 詳しいことは現段階では不明だが、どうも結婚とか、成人の儀式のときに名前がかなり重要な意味を持つらしく、将来の仕事でさえも名前によって就けるものと就けないものとに分かれるという。

 その為ナフルは、自分ではなく、父親にオレの名付け親になって欲しがっていた。


 だが、その肝腎要の父親はというと、この一か月間というもの決して姿を見せようとはせず、一向にオレとナフルのいる天幕に立ち寄る気配を見せはしないのだ。

 当初の頃は遊牧民らしいし、何処かに行っていてこれくらいは家を留守にするのが普通なのかな?とも思ったが、どうやらそうではないらしく、少なくとも生まれたばかりの赤ん坊を放っておいて一か月も妻の元を訪れないのは流石に早々は無いらしい。


 ナフルもその事については時おり考えては、不安がっているようで、偶にオレに気付かれないと思っている所で一人沈痛な面持ちで物思いにふけっていた。


 さて、そんな生活も過ぎていき、オレが第二の誕生をしてからそろそろ二か月が経とうかという頃である。


 「子供が生まれたというのは、本当か?生きているのか?」


 漸くの事、オレ達のいる天幕にこの世界のオレの父親らしき人物が現れては、天幕に入る否や、何やら、生まれたばかりの子供に懸けるべきでは無い様な強烈な毒を孕んだ鋭い聲を、産着に包まれたオレに浴びせかけて来た。

 見れば、そいつは、頭に灰色の犬耳を生やした冷徹な顔をした男で、何故だか知らんが、生まれたばかりの赤ん坊でしかない筈のオレを、まるで親の仇を見る様な冷たい眼つきで睨みつけていた。

 顔は中々の美形だ。紫色の瞳が細く鋭い光を放つ、精悍な顔立ち。無造作に伸ばした銀髪に近い灰色をした髪。それに何より、痩身ではあるが引き締まった体をしているのであろう。艶のある黒に着色された鎧が似合う、歴戦の雰囲気を漂わせる風格。

 どれをとっても、良い男である。そんな男前と、美女であるナフルが夫婦として並び立つ姿は、絵になるだろうなあ、と、オレは何処か他人事のように感じていた。

 だがナフルは、男の差すような視線に一瞬だけ戦いた様に体を震わせると、すぐに気を取り直して、心なしかオレを強く抱きしめながら男へと笑いかけたのだった。


「ハイ!サーティア様にそっくりなお顔をした、元気な男の子です。さあ、さ――――」


「そうか、息災で何よりだ。それよりもお前の体の方はどうだ?産後の肥立ちは悪くないと聞いているが、体に不調は無いか?何か欲しい物があったなら言ってくれ。すぐに用意させる」


「ええ――――、ですがその前に、まずはこの子を」


「ならば、オレはもう行く。近くに、『毒鵬ベネガル』の群れが出ているとの事でな、討伐隊を出したところだ。オレもすぐに戻らねばならぬ」


 ナフルの科白を遮って、サーティアと呼ばれたオレの父親らしき男はナフルへと話しかけるが、オレの方へは見向きもしないで、さっさと仕事に戻ろうとしやがる。一体どういうわけだ?会話の様子と口調から、ナフルに対しての気遣いは本物のように感じるが、その割には、ナフルと自分の生まれたばかりの子供であるはずのオレには、一切気遣う様子が見えない。

 まさか、オレが異世界から転生したと気付いてるのか?まあ、そんなことは無いだろうが、そうでも無けりゃこの態度はねえだろう。

 流石にナフルの方もこの態度は無いと思ったらしい、天幕から出て行こうとするサーティアを、縋り付くように止めると、今まで抱きしめていたオレをサーティアに向けて差し出して、悲痛な叫びを上げた。


「サーティア様!お願いです!どうか、この子に声をおかけください!この子を見てあげてください!抱きしめてあげてください!この子は、紛れもなくサーティア様の御子です!どうか、どうかこの子を愛してあげて下さい」

 

 だが、サーティアの態度はすげなかった。


「元気なのだろう?ならば、オレが顔を見るまでも、抱くまでもないわ。大体、乳を飲ませて居れば勝手に生きていける様な奴など、わざわざ構うまでも無かろう」


 すると、サーティアの言葉にとうとう今までナフルの傍で今まで黙りこくっていた侍女の一人が、耐え切れなくなったように叫び声を上げて、糾弾した。


「族長!そのような言い方は、生まれたばかりの御子様にも、大変な難産で有った奥方様に対しても、あまりに非情な言い分ではありませんか!大体、赤子が飲む乳も母が与える物であり、誰かに抱かれなければ、何処かに行くことも構いませぬ。赤子は、今元気であるからと言って、いつ死ぬとも知らぬか弱い者です。そんな存在に対して、構う必要が無いなど、あまりにも無慈悲な言い様です」


「下らん。砂漠の男に蜜はいらん!違うか!」


「!それは、そうであるやもしれませぬが、物事には限度というのがあります!さようなことは、わざわざ生まれたばかりの赤ん坊にかけるものではありませぬぞ」


 あくまでも頑なな態度を崩そうとしないサーティアを相手にして、侍女は尚も食い下がろうとするが、当のサーティアは、軽く鼻を鳴らすと、そのまま話しは終わりだと言わんばかりの態度で、天幕の中にいるオレ達に向けて背を向けた。


「言いたいことはそれだけか?それではオレは出ていくぞ。下女を相手に子供の躾を論じているほど、オレは暇ではない」


「お待ちください!サーティア様!サーティアアラサイフ様!この子に、名前を!名前をお付けください!この子が生まれてからのこの二月、貴方に名前を頂くためにお待ちしていたのです!せめて名前をお付けください!」


 ナフルは、最早サーティアの硬化した態度には諦めたのだろう。涙声になりながらも、必死にサーティアを押さえつけては、命乞いをするように俺に名前を付けてくれ、と、縋り付く。

 サーティアは、そんなナフルの態度に、一瞬だけ怯んだような申し訳なさそうな顔をしたが、すぐに顔を憎々し気に歪めると、忌々し気な舌打ちとともに小さく何事かを呟いた。


「…………メール」


「え?」


「ルグレールメール!そいつの名前は、ルグレールメールだ!」


 最初は、小さく呟くように何事かを囁いたサーティアは、ナフルの顔を睨みつけるように見据えると、怒鳴りつける様な大声でそう叫ぶと、その声に茫然となった侍女やナフルを尻目に、天幕を足早に立ち去って行ってしまった。


 何か、名前を付けるのも嫌がってた割には、結構しっかりした名前がパッと出たな。

 ルグレールメール、ね。

 響きだけで言えば嫌いじゃない。何だよ。悪くないじゃん。つーか、こんだけさらりと出て来るってことは、実はこっそり隠れて子供の名前でも考えてたのかな?

 と、俺は呑気にそう思っていたのだが。 


「何と……。何と!!惨い!!」」


「そんな……。そんな事をするなど……」


 サーティアの言葉を聞いた侍女たちは、信じられない物を見てしまった言わんばかりに驚愕で目を見開き、ナフルはその場に膝から崩れ落ちて、オレを抱きしめながら啜り泣くようにボロボロと涙を溢し始めた。


 高々名前を付けられた程度の事で、此処まで沈痛な空気になるとは思わなかった。

 一体、どういうこったい。

 今はまだ話すことのできないオレは、心中でそう呟きながら、周囲を取り囲む大人たちを奇特な目で眺めることしかできなかった。


 後に知ることになるのだが、このルグレールメールという名前は、『紅い砂』という意味であり、この地域においては、砂漠の中でも特に降雨に恵まれず、水気が無く、生命の生息することができない土地を表す言葉であり、不毛の土地を表す言葉となっている。そこから転じて、死んでも役に立たないという意味の罵倒や、生まれてこなければよかったのになと言った意味の呪いの言葉として使われるようになったものであり、この言葉を投げかけられれば、ただそれだけで殺し合いになるほどの酷い侮辱であった。

 父親の名前である、サーティアアラサイフとは、『輝く剣』という意味の名前であり、戦士として度重なる武勲を上げた者に許される名前だそうだ。


 それはさておき。

 つまりは、オレの第二の人生における父親であるサーティアは、生まれたばかりの赤ん坊に、本来ならば殺し合いになるほどの罵倒の言葉を名前として付けたのである。かなりの悪意か、相当に頭が悪ければ決して自分の子供には着けない様な名前である。


 今回は明らかに後者だろうな。何だか、悪意が空回りしすぎて逆にバカだ。現代日本でも、あほ之助とか、バカ太郎とか言う名前を見たら、親の悪意よりも先に、頭のできを考える物だ。


 だが、まあ嫌いじゃない。

 ルグレールメール。

 『紅い砂』のルグレールメール。それがオレのこの世界での名前だ。


 こうしてオレは、第二の人生における名前を手に入れた。

 

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