悪役令嬢と腹黒王子の戯れ
悪魔の皮を被った乙女と天使の皮を被った腹黒の話です。
たぶん、生まれた時はまだ、性善説のごとく純粋無垢なままだったと思います。物心つき始めた頃に、この世界ではない世界で生きる一人の女性の夢を見るようになりました。十歳になる頃には、夢に出てきた人格と生来の人格が混じりあって、そうして今の『私』というものが出来たのです。
あの不思議に鮮明な夢は、魂の記憶と表現するべきか、前世とでもいうのでしょうか、おそらくはそういった類のものなのではないかと思います。
どうやらわたくしが前世(便宜上そう呼ぶことにします)を覚えているとしても、頭がおかしい人間だとしても、この世界に生きていることは確かなようでした。足がもつれて転んだ時は痛かったですし、豪勢な食事をいただいてはしょっちゅう胃がもたれていましたから。
この身につけられた名はルイーズ。正式な名前はルイーズ・アメレール。名前でもわかる通り、アメレール公爵家の娘として生を受けました。
闇の魔王と影でささやかれる濡れ羽色の髪と冷たい眼差しがデフォルトのお父様と、妖精のように可憐と言われる愛らしいお母様、お父様そっくりな氷王子と呼ばれるお兄様の四人家族です。
わたくしもお父様とよく似ているらしく、周囲に恐れられているせいで遠巻きにひそひそとされる度に落ち込んでしまいます。けれどもわたくしは公爵家の娘。外で無様な姿など見せられませんので表向きには涼しく、裏側ではしくしく痛む胃をおさえながら表情筋を鍛える日々です。
自分でもまあ、確かに顔立ちが悪役令嬢然としているのは自覚しておりますが、それだけでこれほど怯えられることはありません。おおかた、噂のせいだと思われます。
王族すら脅して今の地位を保っているだとか、逆らえば情け容赦なく打ち首にされるだとか、根も葉もな…くはないですけれど、大袈裟に騒がれているのです。実際のところ、曾祖父が愚王を多少こらしめて改心させただとか、領民から過分な税を搾取していたいち貴族の不正を暴き裁くだとか、そういった過去はありますが、それを暴虐非道のように言われているのは、わたくしたち一族が代々悪人面をしているからなのでしょう。
そうは言っても上級貴族の方にはご理解いただいておりますし、王族にいたっては代々忠誠を誓うために、アメレール家に生まれた者が一定の年齢になりましたら、儀式を行い誓約しているので、知らぬは主要貴族外。…とは言えども知っているのはほんの一握りですから、こうして何もせずとも怯えられる日々を過ごしているのですけれど。
実際にアメレール公爵家の悪人面と噂に騙されて、ごますりをしながら犯罪(貴族の責任放棄又は不正)の協力を求めてくるので、証拠集めに便利ということもあってか、そういった噂を窘めるどころか意図的に増長するように指示しておりますのでますます肩身が狭いのです。
それも必要があってのことですし、我が公爵家は悪人面にも関わらず(自分で言っていて悲しくなりますが)、野心なんてこれっぽっちもありませんし王家に対する忠誠心が抜きんでて強いので、すすんでこういう役回りをしているのです。
なので堂々と胸を張っていれば良いのでしょうが、何せわたくしは大往生をしたいち庶民としての記憶があるために、刺さる数多の視線に慣れることが出来ず常に胃薬を持ち歩いております。二年と少し前に、本当に胃に穴が開いて倒れてしまったので、いつもかかさず食前に飲むようにしているのです。痛いのは嫌ですから。
王侯貴族が通う学院内ではなるべく口を開かず(何を言っても嫌味や脅しとして捉えられてしまうので)、我関せずといった態度をとるように鋭意努力しているのですが、神様、これはわたくしめの試練なのでしょうか。もう少し胃を丈夫にせよとのお告げなのでしょうか。
キリキリと痛むお腹を抱えて今すぐにでもうずくまりたい、もしくは部屋に戻って横になりたいのをなんとか根性でおさえこんで、無表情で目の前にいる女子生徒と、彼女を庇うように前へと進み出る第二王子殿下へと目を向けます。
「ルイーズ・アメレール嬢」
「はい、何用でございましょう」
前世で、『カブキ』という劇に使われる『ハンニャ』という仮面によく似た怒りに満ち満ちた恐ろしい形相で睨んでくる第二王子殿下。そして殿下に恐れ多くも縋りつくようにして涙を目に浮かべる可愛らしい女子生徒…わたくしの記憶が正しければ男爵家のジョゼット・ベドス嬢がわたくしを怯えた様子で見てきます。
このような周りの目がある場で、一体何事なのでしょう。
「ジョゼット・ベドス嬢に対する数々の暴言、更には階段から突き落とした件について申し開きはあるか」
「わたくし、何も存じませんの」
「わ、わたしっ!この人に押されて、もう少しで頭を打つところだったの!」
「あら、男爵家が誰にものを言っていて?」
「なっ」
「良い。私が許す」
ジョゼット嬢がほんの少しだけ口を歪めたのを扇子越しにばっちり目撃いたしました。なるほど、話が読めてきました。
彼女は殿下の婚約者であるわたくしを陥れてその座を手に入れたいと、そういうことなのでしょう。ふむ。と殿下に視線を向けると、あらあら、折角作った『ハンニャ』の仮面が崩れておりますわ。
「具体的に、わたくしがどのような暴言を吐いたとおっしゃるのです」
「食堂で食事をしていたらマナーもなっていないのかみっともないと!」
「ナイフの持ち方が危うかったので注意しただけでございますわ。学院は王家も通う場所、誤ってそんな方々に傷でもつけましたら幾らわざとではなかったとしても処刑は免れませんもの、お気をつけになるよう助言しましたの」
「廊下を歩いていたら平伏しなさいと!」
「わたくしはよろしくても他の貴族ならば道を譲って頭を下げませんと、罰せられても文句は言えませんことよと苦言したのですわ。幾ら学院内は貴族位が関係ないと規則にあっても、それら最低限のマナーを守らなければ社会に出て通用はしませんもの」
「で、でも!普通に話しているだけで下品だとっ」
「それも同様ですわ。貴女、その話し方で貴族として通用するとお思いですの?」
幾ら学院では平等と決められているとしても、それは貴族の中での平等という話です。貴族のマナーを学び守り、その中での平等…不誠実なことは許されないと、そういうことなのです。ジョゼット嬢は勘違いしているようですが、わたくしたちは貴族としての責務を学び人脈を作るために学院に通っているのです。
さて、それにしても。殿下、思いっきり顔が崩れております。幸いジョゼット嬢は気づいていないようですけれど。
「私、この方に突き落とされました。それだけは許せません!」
「まあ…それはいつのことでしょう」
「しらばっくれないでください!三日前です」
「三日前、ね」
確かに普通なら証明出来ないことですね。けれど、残念ながら。
「わたくし、その日は学院に行っておりませんの。お茶会をしていたものですから。人違いではありませんこと?」
「うそ「嘘ではないよ」えっ!」
ジョゼット嬢の言葉を遮ったのは、他でもない第二王子殿下でした。アイスブルーの瞳をきゅうっと細めて彼女を見下ろしています。口元が綺麗に弧を描いて、ああ、なんて腹黒…げふん、楽しそうなのでしょう。
「ねえ、ルウ」
「…王妃殿下と、お茶をしておりましたので。嘘だとおっしゃるのなら、直接お聞きしてくださいます?」
「ルーウ。私も一緒にお茶をしただろう、忘れてくれるな」
殿下がわたくしの隣に立ち、腰に手をまわしてきましたが、抵抗せず腕の中におさまりました。ここで拒めば不機嫌になって面倒なことになるのですから、当然のことですね。
ジョゼット嬢はポカンと間抜け…失礼、面白い顔でわたくしと殿下を見ます。野次馬勢は遠巻きながらウンウンと頷いているのが見えますが、貴方たち、わたくしのことが怖いのではなかったのですか。
『殿下は女王に操られてこそ殿下だ』って、誰が誰を操ってるですって?おっしゃったのはどなたですか。わたくし操ってなどいませんから!どちらかというとわたくしの方が振り回されているのですよ!
「ん?どうした、ルウ」
「思い出したことがあるのですが、ベドス家の方が先日屋敷にいらっしゃったの」
「ああ、報告を受けている。そろそろ———」
「第二王子殿下、ご報告がございます」
待ち構えていたかのようなタイミングで殿下の傍付きの方がいらっしゃいました。ああ、この先の展開が読めてしまうのがつらいです。
「ダミアン・ベドスが人身売買に通じていた事が発覚、先程捕獲されました。ジョゼット・ベドスにも嫌疑がかかっております故、連れて行ってもよろしいでしょうか」
「よい。その娘は王族を誘惑・誑かし、未来の我が妃に対して無礼を働いた。私が陛下に証言しよう」
「かしこまりました」
傍付きの方が駆け付けたと同時に、近衛兵によって既に彼女…ジョゼット・ベドス嬢の身柄は確保されていました。これが『デキレース』というものですね。そして彼女を連れて去っていく一連の動作は澱みなく、流石近衛だと思わずにはいられません。
「ルウ」
「殿下、あの」
「名前で呼んでくれないのか?」
「………………レイモンド殿下」
「ルーウ?」
「…レイモンド様。これでよろしくて?」
にっこりと、その天使の笑みの裏側が真っ黒なのをわたくしは知っています。野次馬、もとい周囲の方々はうっとり殿下を鑑賞しておりますが、もしかしなくとも、それが目的なのでしょう。ジョゼット嬢に惚れたふりをして引っ掻き回したお詫びと、わたくしとの仲が悪くないという牽制が含まれていることでしょう。それをわかっているから私も抵抗しません。それがなければ抵抗しますけれどね。
遠くに意識を飛ばしていたら、突然殿下がその場で跪きました。わたくしの手をとって、それはまさに乙女が誰でも憧れるポーズ。
「ルイーズ・アメレール」
「…はい」
「私は貴女以外は目に入らない。一途に君に愛を乞い続けていると信じてくれるかい?」
『他は駒』『まさか逃げられるなんて思っていないよね?』などという声が聞こえてくるようです。まさかこんなところで公開プロポーズされるなんて思っておりませんでした。胃薬をもっと飲んでおけばよかったです、胃が痛いですわ。
「ええ、信じておりますわ」
手の甲にキスをされて周りから『きゃあっ』と黄色い声が挙がりました。かくいうわたくしもただの策略と知っていても体温が上がります。
だって、改めてされると照れるんですもの。
殿下に手を引かれてその場を離れ、人気のないサロンにやってきました。
腰にまわされた腕に抗う気も、すっかり気力の削がれたわたくしにはなくそのまま誘導されます。で、気づいたら向かい合って抱きしめられております。見た目は細いのに、こうして密着すると筋肉がついているのがよく分かります。冬ですのに、どうしてかしら、暑いですわ。
「嫌な思いをさせたね、ルイーズ」
「…いいえ、必要なことだったのでしょう?」
「そうだね」
サロンに沈黙がおりました。会話はないけれど、決して居心地は悪くはなく、心がむずむずとくすぐったくなります。
普段ああして演技をする時とダンス以外に、ここまで密着することは滅多にありません。そもそも二人きりになる機会がありませんから。
「ルイーズ。私はね、君の事が好きだよ」
「知っておりますわ」
「いいや、知らないね。私がどれだけ君に執着しているのか、君は知り得ないだろう。だけどそれでいい。ドロドロした気持ちを知ったらルイーズは私を嫌うかもしれない」
こつん、と額と額が軽くぶつかりました。間近に迫ったアイスブルーの瞳は悲しげで、まるで子犬のようでいて、けれども奥に灯す熱は触れたら焦げてしまいそう。
殿下がわたくしのことを好いてくださっていることは知っています。他に無関心である代わりにわたくしへの執着が異常であることも。怯えさせないようと見せないように必死になっていることだって。
少しムっとしてしまいました。だって、殿下は何も理解していないんですもの。
「わたくしを舐めないでくださいませ。どんな殿下でも殿下には違いないのです。わたくしは殿下でいいのではなく、殿下が良いのですわ」
「!」
自分から背伸びをして、その唇に触れました。はしたないかもしれませんが、殿下はこれくらいしないと信じてくださらないのです。
「一人の女として、貴方をお慕いしております」
「…そんなことを言ってしまったら、もう知らないよ?」
「構いませんわ」
「ルイーズには敵わないなぁ。…愛してる」
言葉はオオカミに呑み込まれてしまいました。
(めでたしめでたし)
<ルイーズ・アメレール>
悪人面一家アメレール公爵家の令嬢。中身は善人苦労性。まさしく悪役令嬢顔なので勘違いされているがほぼ諦めている。胃痛が悩み。幼い頃から腹黒王子に振り回されていたらいつの間にか好きになっていた摩訶不思議。
<レイモンド>
第二王子殿下。金髪碧眼のまさしく王子様天使様。見た目を全力で利用して容赦なく敵を裁く。ルイーズに一目惚れしてから一途を貫いている。執着溺愛系。影ながら支える事を至高としている腹黒参謀王子。
<ジョゼット・ベドス>
ちょい役ヒロイン。最初からレイモンドに騙されていた可哀想?な子。見事に馬に蹴られた。