第10幕
「ごめんなさい。悪気はなかった。私を憎むなら憎みなさい」
EVEが私に近づいてきた。私は悲しみと恐怖で体を震わせた。
「い……いやだ! こないで! こっちこないで!」
「わかっているわ。彼女が貴女にとって大事な存在であることも」
「お前なんかにわかってたまるものかぁ!」
私は拳銃を取り出してEVEに向けた。しかし手が震えていた為に握ることができず、そのまま地面に落とした。落ちた拳銃は光り輝く魔法陣に触れ、燃えてなくなっていった。
そしてEVEは私の眼前に迫った。怯える私はただ目を瞑って抵抗した。私の頬に冷たい感触があった。EVEの手。彼女が私の頬に触れてきたのだ。
「雪、良かった。生きていてくれて。今のあなたなら分かるでしょ? この世には絶望しかない。希望があるなんて嘘。みんな真実から目を逸らしたいからそんなこと言うの。もう準備はできている。さぁ、一緒に死にましょう?」
EVEはそう言うと私の頬から手を離した。それと同時に人々が騒めきだす音が聴こえた。そして私が目を開くと私が認識していた状況は変わった。
「歯をおぉぉっくいしばれぇっ!」
突然私の目の前に現れたのは赤と黒のドレス姿で箒に乗った茜の後ろ姿だった。黄金色に光り輝く茜は大声で威嚇するや否やEVEの頬に渾身の一撃を見舞った。
茜の殴打を見事にくらったEVEはそのままフェンス際まで弾き飛ばされた。一段落すると、茜は肩で息をして箒を両手で持って体勢をとった。頭からは血を垂らしていた。
「茜……生きていたの! 良かったぁ!」
私は思わず茜の腰に抱き付いた。
「冷静に。あんなのでくたばる輩じゃないよ。アイツは」
茜の言葉どおり、EVEはゆっくりと立ち上がった。
「ふふっ……これで私を殺したつもり? どうやって生き返ったかは分からないけど、そんな満身創痍じゃ何もできなくて?」
「これは殺すか殺されないかの戦いじゃない。それに今、戦況は私に好転した。手を上げて降参すなら今のうちだよ。どうするかな? イヴさんとやら」
「強がりを言うな!」
EVEは杖を浮遊させその手に戻した。手に戻るや否や杖を振りかざし、これまでよりも大きな空気砲を放ってきた。茜は攻撃をかわし、空気砲はまたも隣のビルの壁に当たり、隣のビルを溶かした。ビルの下では大勢の観衆が騒ぎ立てていた。もはや魔術が世に知れ渡ったのも同然であった。
EVEの攻撃を避けた茜は右手から砲丸を生み出しEVEに投げつけた。当然のようにEVEが作動させる大気のバリアによって粉々に燃やし尽くされた。
「馬鹿の一つ覚えを…………舐めるな!」
EVEの攻撃は激しさを増した。茜はこの戦闘中に「う~! やっぱ慣れない!」と言いながらも箒に乗り、再び空に飛んだ。下の方からは歓声が聴こえだした。私はただ固唾を飲んで戦況を見守り、茜の勝利を見守った。もう立つことはできない。
茜の浮遊はさっきと変わらないほどバランスに欠けていた。
「懲りないのね! また下に落ちて死にたいとでも言うの?」
「馬鹿にするな! アンタに殺されるぐらいなら、自分で死んだ方がマシだ!」
次の瞬間、茜はEVEの攻撃を避けたかと思うと、自ら落下した。直後にこれまで続いていた歓声が悲鳴に変わったのを私は耳にした。なんと茜らしくないのだろうか。私は驚きすぎてただ唖然とするばかりだったが、ふと懐のポケットに手を入れた時に不思議な感覚を覚えた。さっきEVEの魔法陣によって焼き尽くされた拳銃が確かに“ある”のだ。
茜の落下を見届けたEVEはぜぇぜぇと息を吐きながら私の方を向いた。その刹那、ビル下から騒めきが聴こえた。次の瞬間、箒に乗った茜がEVEの背後に現れ、再び殴打を見舞った。そしてまたもフェンスの際まで殴り飛ばされた。
「なんで!? 貴女は不死身だとでも言うの!?」
「アンタもなかなかタフだよな」
茜はまたも砲丸をその手に創りだし、EVEに投げつけた。
「効かないと言うのがまだわからないの!? 馬鹿にするのも大概にしろ!!」
砲丸はまたもEVEのバリアによって焼失した。そして再び茜とEVEによる空中戦が始まった。再び沸き上がる歓声。おかしい。何かがおかしい。
私はなんとか立ち上がり、拳銃を構え、銃口をEVEに向けた。
その時、私の手を掴む手が突然横から出てきた。
振り向くとそこに魔女姿の茜がいた。そして私の手からは拳銃が消えていた。
「茜? これは一体?」
「幻術だよ。彼女とこの近辺の人たちは空想の戦いに飲み込まれているところ」
「どういうこと?」
EVEを見ると、彼女は上空を眺めてボーっと突っ立っていた。ビル下の観衆も私達のいる上の方をEVEと同じようにただ眺めていた。私と茜以外の人間が止まっている。不思議な空間と時間が流れていった。
「まぁ、種明かしは後日でもするよ。それより早くこの状況を何とかしないと」
「茜、私たちは勝ったの?」
「うん。足元を見てみなよ。この屋上はもう彼女の土俵ではない」
「え……」
足元を見るとさっきまで光り輝く脈を打っていた魔法陣がすっかり消えていた。いつの間にか茜が消したようだ。私がそんな確認をしている最中に茜はEVEの周囲に魔法陣を描きだした。EVEを中心とした2メートル大の魔法陣だ。その作業が終わり、茜が両手を組んで呪文を唱えると、EVEと彼女の周囲に描いてあった魔法陣が光輝きだし、閃光を放ったかと思うと、一瞬で消えた。
「消えた!?」
「いや、正確には移動させた。例のオバンが律儀にいてくれればいいけどね」
「例のオバン……? あ! 星村さんの所に飛ばしたということ?」
「ん。そう。察しがいいね。で、これからもう一回さっきと同じ陣を描くよ」
「え? 何で?」
「おばちゃんと話をする為に。移転神術は万物を移動させることができる術なの。これからする神術にあのオバハンの協力は必要だからね。ま、雪は聴いていて」
淡々と話した茜は淡々と再びさっきと同じ魔法陣を描き始め、手を合わして、さっきと同じ呪文を唱えた。すると魔法陣が輝きだして、星村の声が魔法陣から発せられた。
『たいしたものね。敬意を称するわ』
「約束守ったでしょ? 何か文句でもあったりする?」
『ないわよ。でも、そうねぇ、このコを幻術から解放はさせてくれないの?』
「それはできないね。それをしてしまえば、今までの努力が全て水の泡になる。彼女を悪者にしたくないのでしょ? じゃあ、私の言うことをきいてくれる?」
『あなたの言うこと?』
「これから“時空神術”を行う。この3日間の大災害は起こらなかった事にする」
『時空神術……!』
「今から数年前やったことを再び行う。場合によってアンタにとって都合の悪い未来になるのかもしれない。でも魔術が世に知れ渡ろうとしている今、こういう手を使わずして私達にこれ以上の打開策はない。そう思わない?」
『ふふっ。確かに。皮肉にもそういう状況ね。それで私から“力”を送れと?』
「察しがいいね。でもそれをするかしないはアンタの自由だ。どっちにしても、私はこれより術を発動させる。アンタが協力してくれたら全て円滑に済むだけの話。ここから先はわかるね?」
『生意気なぐらいに駆け引きが上手いコね』
「探偵やっていましたから。さ、早くしないとそっちも警察が集まっちゃうよ?」
『ふん。まぁ、いいわ。話は変革後の世界でつけましょう』
「望むところ♪」
星村と茜の話が終わると、魔法陣から黄金色の光が溢れだし、茜に注がれた。茜の体がこれまでにないほどに光輝き始める。この茜の姿、いつぞやの出来事を思い出させる。そう。火山噴火があったあの時のこと……。今茜と私がしようとしていることはまさにあの時の再現なのだ。
魔法陣からエネルギーを与えられた茜はそのまま屋上いっぱいに魔法陣を描き始めた。時間がないからか、急いでやっている。魔法陣を描き終えると、私達のいる屋上の一帯は黄金色に強く輝き始めた。眩しい。両手で目を塞がないと目が痛くなりそうだ。
ふとすると、私の足元に茜が愛用する魔法のペンが転がってきた。
「またこんなことになるなんてね……雪、そのペンで大きく丸を描いて、その中に直線で結ぶ三角を描いてくれる?」
「うん……わかった。ねぇ、私達また離れ離れになるの?」
「なるわけないよ。私たちはそんなので切れる縁ですかね?」
「ううん!」
「また変わった世界で話そう! 愛しているよ! 雪!」
「私も! 愛しているよ! 茜!」
そして真っ白な光が目の前に広がった。