「傘持ちさん」
暫くは特に会話もなく、器と匙が当たる音だけが家の中に響いていた。自分と相手の器の中身が少なくなったところで、徐に鈴猫は切り出した。
「……アンタの傷ねェ……自由に動けるようになるまで一週間ぐらいかかると思うよ。旅の疲れもあるだろうし、運が悪かったら二週間。どうするの?」
「……明日の朝、出て行く」
「ダメだよ。ってか、脚が治るまではマトモに歩けないでしょ。多分、最低三日くらいは満足に歩けないんじゃない?」
空になった器をとん、と置き、鈴猫はにっと笑った。
「幸い、ココには薬もあるし。アタシは怪我の処置とか心得てる。……旅の人、よかったらしばらくココにいたらいい」
「……だが、おれは」
「大丈夫。アタシも余計な詮索はしないよ。確かに、アンタの顔とか怪我の理由とかは気になるけど……誰だって人に言いたくないことをいくつ抱えててもおかしくはないもの。アタシは平気だよ」
「……」
反論は無いようだ。鈴猫は笑顔のまま頷いた。
「――じゃ、そーゆーことで。アタシは鈴猫。アンタは?」
「……赤の他人に名を明かす義理はない」
「あっ、ひど!! いいじゃない、名前ぐらい教えてくれたって」
名を問うが、男は目を逸らし突き放すように返す。思わず彼女が反論すると、男は無言で流してしまった。鈴猫は少し頬を膨らませる。
「――じゃァ、勝手に名前付けるね。えーっと……マキコさん! どう?」
「っマキ……!?」
鈴猫がパッと思いついた男の仮名は、名付けが得意でないのかあまりにも安直なものだった。笑顔でネーミングセンスの欠片もない名を付けられ、聞く耳を持たない態度を装っていた男も流石に絶句する。
「包帯ぐるぐる巻いてるから、マキコさん。ダメ?」
「……却下だ」
「えェ!? じゃあ……えと……」
何と呼べばいいかわからず、困った鈴猫は視線を泳がせる。その時、床に転がっている傘が目に入った。
赤い紙を貼った、大きな番傘。
「……傘持ちさん。……傘、持ってるから」
「…………」
傘を見つめながら、鈴猫は何となく浮かんだ新たな名前を口にする。男は、今度は何も言わなかった。……呆れているのだろうか。
「傘持ちさん、でいい?」
「……あぁ」
顔を覗き込みながらもう一度聞くと、男はしぶしぶといった様子で頷いてくれた。彼の了承に、鈴猫の顔が明るくなる。
「じゃ、ヨロシク傘持ちさん」
「…………」
彼女の感情を表すかのように、胸元で赤い鈴がチリリと笑う。夜は、ゆっくりと更けていった。