005 日進月歩
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「あの人は、誰もが拒んだ43層の氷獄連山に家を建ててます。」
氷獄連山とは、連山の麓にあるセーフティエリアでさえ吹雪に襲われている極寒のエリアである。そんな所なので、タマキ達のいる安らぎの庭よりはるかに格安で居住スペースを購入、賃貸することができる。格安どころか無料に近いのは、43層を踏破したプレイヤーがネコ輔さんを除いて誰もいないことからも予測できよう。つまるところ、悪所も悪所、誰もができるだけ早く通過しようと必死になるそんなエリアなのだ。さらに連山の奥地に棲む悪魔系のボス、氷獄に囚われたメデューサ「ソラエルナ」は範囲攻撃と凍結や移動阻害系のCCを多く持ついやらしいレイドボスである。カズヤも参加したことがあるが、一回倒すのに数時間もかかる天災級のエネミーで、ランタゲの攻撃に後衛が崩壊して一度失敗している。最終的に運良く倒すことはできたのだが。
「ソラエルナ討伐の時はタマキちゃんに助けられたなぁ。お礼にハグしようとしたら断られてもうて、お姉さん泣きそうやったわぁ。」
「Lunaさんにハグなんかされたら最終的にどうなるかわかったものじゃないですからね。」
周囲に花やらハートやらを振りまきながらすり寄ってくるLunaさんを抑えつつ、タマキは答えた。そういえば、タマキは何の職で踏破したのだろうか。不意にそんな疑問が過るのとほぼ同時にタマキは口を開く。些か心を読まれすぎなのではないだろうか
「メイデンの皆さんは火力特化多いですので、私はハイプリーストで参加しましたよ?先輩。さっきも言いましたが、私の本職です。なんですか?その、え?お前火力じゃないの?みたいな顔は。先輩はほんと失礼です。」
鋭い目つきでこちらを睨んでくるタマキに思わずたじろいでしまう。一応、俺は先輩のはずなんだけどなと情けなくなる。
「うっ‥。確かにそれも思ったが、ランタゲの「そんなの回避するに決まってます。あんなの初動でどの攻撃がくるかなんて一度見れば十分です。そこらへんの後衛と一緒にしないでください。私は紙装甲なんですから。避けないと即死です。」そういや、そうだったな。すまん。」
「何ニヤニヤしてるんですか?Lunaさんは。先輩みたいに卑猥なことでも考えてるんですか?」
辛辣な言葉に一切動じないLunaさんに俺もご指導していただきたい。どうすれば、その鉄の心を会得できるのか。とても知りたい。
「いやいや、なんや初々しくてええなぁて思うてるだけやで?タマキちゃんには珍しい、男の子の仲良しさんなんやもん。」
埒があかないと思ったのか、タマキは先輩行きますよ。と一言だけ告げてそそくさとゲートポータルエレベーター、通称ゲートへと向かうのであった。後でLunaさんにタマキの扱い方を教えてもらおうと俺は心に決めてタマキの後を追いかける。
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これがデスゲームに変わってもゲーム仕様なのは変わらないようで、ゲートは不具合なく作動していた。なんてことはどうでもよくて、現在進行形で氷獄連山にいる身としては、さっさと吹雪のない世界に行きたいと切に願うだけだ。
「ネコ輔さんってのは、どこにいるんだ?見た所、プレイヤーらしい人はいないようだが‥。」
「あぁ、だってここには居を構えてないですから。セーフティエリアはもう一つあるじゃないですか。あの人はそこにいます。」
率直に言うと言葉を失った。アリエナイ。ここは各階層にある大きな街であり、大抵のプレイヤーはというより、普通はこの場所の家を購入ないし賃貸するのが当たり前で、もう一つのセーフティエリアはレイドボスに挑む場合に長期間ーといっても一週間くらいだがー滞在することになるだろうとの運営側の予想で設けられた、いわば仮拠点。規模はもちろん小さい。確かに居住スペースも設けられてはいたが、ギルドの別荘的な感じで買い取ることが暗黙の了解であった。余談だが、うちのギルドは別荘を10軒ほど所持していた。タマキの気まぐれらしい。とまぁ、そんなことを考えているうちに割とすんなりと件の場所に辿り着いた。途中、タマキが鬼装薬を飲んで、見る者を恐怖のどん底に叩き落としそうな笑顔を貼り付けながらエネミーを虐殺していく姿など俺は見ていない。見ていないんだ、いいな?
「ふぅ。着きましたよ。ここです。」
と紹介された建物は、セーフティエリアの半分とは言わないが3割4割くらいは占めているだろうと思えるような大豪邸である。
「おやおや、こんな山奥に誰かと思えば、タマキさんでしたかにゃ?」
「お久しぶりです。マスターも変わりないようで。CLOに起きたことは‥?」
挨拶もそこそこにタマキは続ける。俺まだ自己紹介すらしてないんだけど‥。
「まぁまぁ、立ち話もにゃんだし、入るといいですにゃ。」
急くタマキを宥めて、ネコ輔さんは大豪邸の重々しい扉を執事然として開ける。一つ一つの動きが流麗で見とれそうになる。こうして俺たちは、件の人物、ネコ輔さんにこれといって苦難のないままコンタクトできたのだった。
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執事やメイドがせっせと料理を持ってくる。確かにお腹は空いたが、これは必要なのだろうか?そもそもゲームの中だから、食べ物や飲み物のアイテムはあったが、味はお察しだった。それでも必要ではないものであり、かつCLOをプレイしている大多数は難易度の高いドM仕様のボスやダンジョンにしか興味のない変態ばかりで、不満を言う者もいなかった。
「では、いただきにゃがら先程の会話の続きと行きましょうかにゃ。この階層の空もおそらくタマキさんがいたところと同じように赤黒く染まって何者かがデスゲームににゃったことを宣言して去っていったにゃ。」
はむ、とネコ輔さんは料理を口にして、じっくりと味わってから続ける。
「ここで問題ににゃるのは、我々がいる世界が本物かどうかにゃ。あの者は、『これからこの世界が君たちの現実とにゃる』とも言ったし、『デスゲーム』とも言った。前者だった場合、現実世界の身体のことを心配する必要はにゃいからタイムリミットはにゃいが、攻略しても戻れないかもしれない。後者だった場合、CLOでの1日は現実での1時間、5年が約2ヶ月半。時間があるように見えて人体的にはそんにゃににゃい。ただし、攻略すればおそらく戻ることはできるにゃ。」
タマキは少し思案して、すぐに顔をあげる。
「だから、料理を食べるというわけですね。確かに味覚エンジンに力を注いでいなかったはずのこのゲーム内で美味しいと思える食事を取れるとは思っていませんでしたからね。それで秘伝は、まだ使えますか?私の六神通と暗器万器は、使えるみたいですが、残りはまだ未確認です。」
猫髭を整えながら、ネコ輔さんは微笑んだ。
「安心してくださいにゃ。私の秘伝もちゃんと使えますにゃ。あと搭乗スキルも使えましたにゃ。」
搭乗スキルとは名の通り、乗り物ユニットのことで、基本は陸上ユニットだが、中にはレイドで一定の条件をクリアすることによって飛行ユニットや水上ユニットも手に入る。
「それはそうと君は確か、カズヤ君だったかにゃ?」
「え?は、はい。そうですけど、どうして俺の名前を‥?」
ネコ輔さんとは面識がなかったはずで、ネコ輔さんのこともついさっき聞いたばかりだ。
「そうですにゃー。強いて挙げるとすれば私がずっとここに居を構えているからですにゃ。」
ずっと、ということはおそらくカズヤがここのエリアを踏破した時にもいたのだろう。思い返してみれば、朧げではあるが攻略に来た折にこの大きな洋館を見た記憶がある。
「んー、お腹が満たされたことですし、一つこの世界を実感するためにソラエルナ倒しに行きませんか。」
~この世界の補足~
・ゲートポータルエレベーター(ゲート)
階層を行き来するためのエレベーターのこと。ゲーム時代からあるもので、祭壇のような建築物。その場に立って行きたい階層を選択して飛ぶことができる(ただし、行ったことのある階層のみ選択可能)。
・鬼装薬
一時的に防御力を下げる代わりに攻撃力を大幅にあげるアイテム。自作可能。