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その6 不憫な少女

「俺の同級生には“天才”がいました。名前は加々美綺羅梨。頭の回転が素晴らしく早くて、いくつもの賞を簡単に得てしまうような、そんな少女でした。中学に入らずに高校へ入学していて、年は3つ下の14歳でした。どこか放って置けないような、そんなタイプの子だったんです」

「飛び級か。相当頭良かったんだな」

「ええ。誰も彼女には敵いませんでした」

エイトは窓の外をぼんやりと見つめていた。それはまるで昔を懐かしむような、そんな瞳で。

「彼女は本当に無邪気で、どこまでも自由な子でした。…もちろんクスリを使って感情を制御してのそれでしたから、元の気質はきっと激しいものだったんだと思います」

「クスリは、すべての感情を制御できるんじゃなかったのか?」

“感情を制御できる”とは、一体どこまでのことを指すのだろうか。今の話を聞く限り、すべての感情を失くしてしまうわけではなさそうだ。

「そうですね。昨日の言い方だと少し語弊があるかも知れません。クスリは、感情を“消す”わけではなく、あくまで感情を“抑える”ものです。元の気質が激しかったり、感情や欲求が強すぎたりすると、その分だけ抑えることは難しくなります。だから服用の頻度や、クスリの種類自体を変えることで、感情を抑制できるように調節するのが一般的になっています」

そう言って、エイトはピルケースを取り出した。

「俺が使っているのは、あまり効果が強くないものです。彼女が使っていたのは、一番強い種類のクスリで、服用の頻度もとても多かったように思います。…それは、見てるこちらが不安になるくらいに」

そう語るエイトの瞳は、言葉とは裏腹にどこか優しい色をしていた。それだけでわかる。彼がどれだけ、キラリという女の子を好いていたか。

「一度、彼女が泣いているのを見てしまったことがあるんです。クスリが切れてしまったのか、感情のリミッターが振り切れてしまったのか。学校の裏手にあるゴミ捨て場で、まるでゴミに埋もれるようにしゃがみこんで泣いていました。その涙があんまりにも綺麗で、そしてどこか危うく見えて、目を離せなくなりました」

そんな折に、ある事件が起こりました。

「ヒトミさんが目覚めるおよそひと月前に、某国で日本の外交官夫妻が誘拐されました。誘拐犯の要求は、某国への日本の武力進攻を止めること。しかし、日本はそれを突っぱねました。某国は資源の宝庫で、それをみすみす逃すことは日本にとってとても不利なことでしたから。『国家の利益のため』そんな名目で夫妻は殺され、残された娘のもとには多大なる賠償金が国から支払われました」

「もしかして、それが…」

「そう。殺された夫婦の名は“加々美”。残された娘は“綺羅梨”という名前でした」

エイトは苦々しくため息をついた。ぐっとこぶしをひざの上で握りしめ、まるで何かに耐えているような顔をする。

感情が制御しきれていない。何かのきっかけさえあればとたんに振り切れてしまいそうな形相だった。

「実際、珍しい話ではないんです。クスリの普及に伴って、政府は自衛隊を徐々に軍隊のように作り変えていきました。大昔に制定された憲法も作り変えられ、軍事武装をするのも、徴兵制を導入するのにも、武力進攻をするのにも、何も問題ありません。感情を制御した今の世の中では、国家に歯向かうものはほとんどいないんです。『国家の利益のため』。そう言われてしまえば、誰もが納得し、諦めて従います」

「そんなこと、あっていいのか」

目覚めた時、未来はなんて幸せなのだろうと思ったことを思い出した。

医療の進歩、技術の発展、犯罪の減少。行きかう人々の表情は穏やかで、どこから見ても“平凡”な幸せを享受しているように感じられた。あの風景は一体何だったのだろう。

この国は、一体いつから感情を踏みにじる国になってしまったんだろう。

「いいとか悪いとか、そんなことは関係無いんですよ。すべては国家の安寧のため、ひいては国民の幸せな生活のためなんですから。事実、同じような理由で死んでいく国民も少なくはないんですよ」

「よく暴動が起きないな。それで」

「感情を制御してますからね。遺族すら文句を言いませんよ」

『国家のため』と言われ、大金を積まれればそれでいいってか。

「でも、キラリは違いました。いくら国家のためとはいえ、いきなり天涯孤独になったんだから当たり前です。彼女は荒れに荒れました。感情を抑えることができなくなっていて、もうクスリなしではいられなくなってしまっていました。…結果的に彼女は心を失くし、廃人のようになってしまったんです」

「そんな…!」

エイトは目を伏せ、拳を一層強く握りしめる。彼こそ大丈夫だろうか、発狂しておかしくなるのは彼の方なんじゃないだろうか。

「今彼女は、この病院の特別室に入院しています。表向きは治療のためですが、本当はクスリで感情をコントロールし続けたまま、彼女に仕事をさせているんです。感情が無くても、その頭脳は変わりませんから」

「優秀すぎるゆえにか」

皮肉なものだ。敵のはずの国家にこき使われる頭脳とは。

「それで、俺に何を頼みたいんだ?」

エイトは、そこで勢いよく顔を上げた。すがるような瞳の色は変わらない。

「俺と入れ替わって、俺と彼女を外国に逃亡させる手助けをして欲しいんです」

彼の言葉に、素直にうなずくことはできなかった。


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