その3 不穏の正体
「へぇ、結構広い」
「適当に座っていいから」
俺がそう言うと、エイトは病室の隅に置かれた椅子をベッドの脇に引き寄せた。
「ヒトミさんはベッドの方がいいでしょう?いくら健康体といっても、100年ぶりに目覚めたばかりなんだから」
「お気遣いどうも。じゃ、遠慮なく」
ベッドに手をつき、体を乗り上げる。
たったそれだけの間にも、エイトから絶えることなく視線を感じて居心地が悪い。
動物園のパンダにでもなった気分だ。
「あ、これ両親からお見舞いです」
「どうも」
手渡されたかごに入った色とりどりの果物は、色も形も模範的で人工物のように綺麗だった。
「この時代には、慣れましたか?」
「ああ、まあ何とか。未だに戸惑うことは多いけどな」
穏やかに微笑んだまま、エイトは俺をじっと見つめ続ける。彼にとって俺は興味をそそる観察対象であるらしい。
「そんなに見つめて、面白いか?」
あまりにいたたまれなくなったので思わず聞くと、エイトは少しだけ目を大きくさせた。
「気づいてましたか」
「そりゃもう。こんなに見つめられたら嫌でも気になる」
「怒らないんですね」
「どうして怒る必要がある?エイトにしてみたら俺は気になる存在になるだろう?100年も眠りこんでいて、全く老けていないんだから。気になって見つめるくらい、悪いことじゃない」
俺がそう答えると、エイトは目を伏せ顔に陰りを見せた。
「やはり、そうか…」
呟きの意図がわからず、俺は首をひねる。一体どうして彼は表情に陰りを見せるのだろう。俺とは初対面であるはずなのに。理解ができない。
「それより、後見人ってどういうことだ?俺は確かに天涯孤独で、この時代に知り合いもいない。だけど年齢的には18歳だし、未成年だとはいえ社会的には十分大人と認められると思うんだが」
俺がそういうと、エイトはハッとしたように表情をただした。
「そうでしたね。この時代のこともきちんと説明しろと父に言われてきましたし。少し時間がかかりますが、いい機会ですから」
いいでしょう?
それは願ってもない申し出だった。
俺自身、慣れたとは言ってもこの狭い病院内のことしかわからない。外の世界が、100年前とどう変わったのか、俺はこれからどう生きればいいのか、知りたかった。
幸い、時間はたっぷりある。
「ぜひ、お願いしたい」
話を聞こうと姿勢を正した時、控えめなノックの音がした。
「人見サン、お薬の時間デス」
声の主は俺の担当となっている看護アンドロイドだった。
アンドロイドの合成音声は100年前のそれよりずっと肉声に近い。見た目も、動きも、まるで生身の人間のようだった。
違うところを上げるとするならば、無機質なその表情だけか。
異様に整った中性的な顔を眉ひとつ動かしもしないで、アンドロイドは水といくつかの錠剤の乗ったトレイをベッド脇の机に置いていった。
トレイにはもう一つ、小さなパンのようなものも乗っている。強い薬だから胃があれないように、と用意された軽食だ。
「キチンと飲んでくださいね」
静かにそう言って、音もせずにアンドロイドは去っていった。
「薬の量が多くて困るよ、ほんとに」
トレイに手を伸ばしながらエイトに向かって愚痴る。単なる軽口のつもりだったが、彼は眉間にしわを寄せて難しい顔をした。
「悪いんですけど、薬は少し待ってもらえますか?」
「え、なんで?」
エイトは薬の中からカプセルを一つ取り上げて、目の高さまで持ち上げた。
「見たところ栄養剤に近い薬が多いようですし、特にこれは治療目的に処方されたものではないようです。多少服用が遅れても、問題はないでしょう」
エイトは薬を戻すと、俺の方にきちんと向き直った。
「まずは俺の話を聞いて、薬を飲むかどうかはそれから判断してください。今から話す話は、とても大事なことですから」
「わかった、聞こう」
俺の心を揺らす不穏の波は、さっきよりも大きく激しくなっていた。