森と少女とシチュー
少女が森で迷って困っていると、少し遠くに明かりがポツリと見えました。小枝を掻き分けながらそちらへ進むと、小さな小屋があります。光は窓から漏れていて、おいしそうな匂いがしました。
「こんばんわ、すみません、みちにまよってしまってこまっているのです。とびらをあけてください」
少女は扉をほとほとと叩きながら、心細い思いをしながら呼びかけました。
しばらくして扉が空くと、少女と同じくらいの年頃の少年が立っていました。
「みちにまよったのですね。それはおこまりでしょう。なかへはいってください。おいしいシチューもありますよ」
少女はにっこりと笑って、小屋のなかに入りました。小屋の中はとても温かく、暖炉には鍋がかかっていてとてもいい匂いがしていました。
少女はふかふか草のベッドでぐっすりと眠りました。
少女は森の外で揺り起こされて目を覚ましました。少女の両親と、よく知った村人たちが心配そうな顔をして覗き込んでいます。
少女はどういうわけか森のなかのことをすっかり忘れており、どうして村に戻ってきたのか思い出せませんでした。不思議なことに、おなかもすいていません。
皆が言うことには、少女は一晩家へ帰っていないということでした。そして、皆は少女を心配して森や川を探しまわっていたのです。
ある日また、少女は森の中へ入ってゆきました。枯れ枝や木の実を拾うためです。今日は木の実がたくさん落ちていて、少女は夢中になって拾いました。ふと気付くと空は赤く染まり、どんどん暗くなっていきます。
少女はあわてて村の方へ走ろうとしましたが、その時にはすっかり道を見失ってしまっていました。
遠くから獣の鳴き声がします。少女は怯えて、まわりをよく見ようと目を凝らしました。すると、木の間から光が漏れています。少女はそちらの方へ向かって歩きはじめました。
やがて小さな小屋があらわれました。少女は扉を叩いて、声を掛けます。
「だれかいらっしゃいませんか。みちにまよってこまっているのです。たすけてください」
すぐに扉が開いて、少年がにっこりと笑って立っていました。
「みちにまよってしまったのですね。どうぞなかにはいってください」
少女はお礼を言ってなかに入りました。そして温かいシチューをわけてもらい、ふかふか草のベッドを作ってもらいました。
少女は、眠る前に少年と少し話をしました。花のかわいらしさや、冬の厳しさや、それにシチューがとてもおいしいことも。二人はくすくすと笑い合って、幸せな気分で眠りました。
少女が目を覚ますとまた森の外にいて、やはり家族と村人が少女をさがしていました。
少女はまたどういうわけか森のなかのことをすっかり忘れており、どうして村に戻ってきたのか思い出せませんでした。不思議なことに、おなかもすいていません。
とても心配されましたが、一晩帰ってこないのが二度目だったので、少しだけ叱られました。
しばらくして、少女はまた森で迷ってしまいました。二度も憶えを無くした夜があったので、少女は心配でした。しばらく歩くと、重なった葉っぱの間から、光が漏れているのに気づきました。少女がそちらへ歩いてゆくと、小さな小屋があらわれました。少女は扉を叩くと、声を掛けました。
扉があいて、少年が出てきました。
「やあ、きみかい。さあ、なかへおはいり」
少年はそう言って少女を小屋に招き入れました。部屋のなかは温かく、いい匂いがしました。テーブルの上には、一輪の花が飾ってあります。
「あなたがどなたかはしらないけれど、しんせつにありがとうございます」
少女がお礼を言うと、少年はとても親しそうに微笑んでいました。少女はなんとなく懐かしい気持ちになって、一緒にテーブルに座ってシチューを食べました。少年の声は穏やかで優しく、話は面白く興味深いものばかりでした。
ふさふさ草のベッドに潜り込み、少女はぐっすりと眠りました。
少女が目を覚ますと、怒った顔の両親と村人がいました。 少女はまたもや森のなかのことをすっかり忘れており、どうして村に戻ってきたのか思い出せませんでした。おなかもすいていません。
「もう森に入ってはいけないよ!」
皆が口々に言いました。少女は何のことかわかりませんでしたが、言われた通りにすることにしました。
少女はそれからしばらくの間、畑で雑草を抜いたり種を撒いたり、そうして両親のお手伝いをしていました。ある日のこと、いつもの様に母親と畑に出て畑仕事をしていました。空が少しずつ赤くなっていきます。
「そろそろ帰ろうかあ」
母親の声が聞こえた様な気がして顔を上げると、少女は畑ではなく森の中にいました。手には植えるはずだった苗をひとつ握っています。
「おーい」
声がしました。少女がその方を向くと、小さな小屋があって、扉を背にした少年が手を振っています。少女は嬉しくなって、少年に駆け寄りました。昔懐かしい友達に出あったような気持ちになってにっこりと笑いました。
「びっくりしたわ。きゅうにもりのなかにきてしまったの」
「そうだね、びっくりしたね。でもぼくはきみがきてくれるのをしっていたよ」
そう言われて、少女は不思議に思いました。
「もりへはいってはいけないといわれていたのに、どうしましょう、おこられてしまうわ」
「そうかい、じゃあ、ゆうがたまでにむらにおくっていってあげるよ」
夕方まであと少ししかありません。少女は苗を大事にポケットに入れると、少年と一緒にはしゃぎはじめました。花を探したり、小石をひっくり返したり、虫を追いかけ回したりして、夢のように楽しい思いをしました。
「あ、ひがくれてしまう。それじゃあね、またあおうね」
少女が面白いかたちをした葉っぱを眺めていると、少年の声が聞こえました。
少女が気付くと、森の入り口に立っています。拾った憶えのない木の実やつんだ憶えのない花をカゴに入れていました。今日は夕暮れまえに少女が帰ってきたので家族は一安心でした。しかし、何をしていたか聞いても少女は覚えていないのです。気づいたら帰ってきていたわ、とケロリとして言うのです。おなかもすいていません。
家族は、彼女が病気なのか、森の中に住む誰かに誑かされているのか、いずれにしても嘘をついているのでないか、とても心配しました。本人はというといつもの通り明るく、毎日元気に森へ歩いてゆきます。少女といっても小さな子供ではないし、家族には他にやらなければならない仕事が山積みになっていたので、少女には日がくれる前に必ず帰ってくることを固く約束させて、森へ薪や木の実を取りにやるようになりました。
少女はその日から、また森に入るようになりました。森に出かけては薪と木の実と花をつんで拾って、カゴをいっぱいにしては家に持ち帰りました。ちゃんと夕暮れ前に帰ってくる少女に、両親も安心しました。しかしある日、少女はまた気付くと温かい灯りの灯った小屋の前にいて、前に何度もやったことあるような気持ちで小屋の扉をほとほとと叩きました。それはとても懐かしい音でした。
やがて扉があいて、少年が顔を出しました。にっこりと笑って、とても嬉しそうです。
「そろそろくるとおもってまっていたんだ。なかへおはいりよ」
「わたしをまっていたの?ふしぎだわ、あなたとはしりあいでもないのに」
「そんなこともあるものさ。さあ、きょうはやくそうのサラダとじゃがいものスープだよ。ラズベリーのあまいおかしもつくったんだ」
少年に導かれるままに小屋の中に入ると、なんとも言えない懐しさと愛しさがこみ上げてきました。
少女はおいしい食事と少年の面白可笑しい話に夢中になり、時を忘れました。
「ふしぎだわ、わたしたち、であったばかりなのにふたりのことをよくしっているわ。まるでずっといっしょにいたみたい」
「そうだね。ずっといるみたいだね」
少年は大人びた笑みを浮かべて、うっとりと少女を見つめています。少女は少し恥かしくなって、下を向いてしまいました。
気がつくと、少女は森の入り口に立っていました。何をしたか覚えていませんが、カゴが森の恵みでいっぱいになっていたのでご機嫌でした。夕方前にきちんと帰ってきた少女に、家族は安心して何も聞きませんでした。
それからしばらくしてからのこと。少女が年頃になり、そろそろ見合いをしようかという頃のことです。少女がなんの前触れもなく身ごもりました。
家族はビックリしてしまい、相手は誰かと少女に問いただしますが、少女は知らないとばかり言います。相手を隠していると言うより、少女も本当に相手を知らない様子です。何か特別な事情があるのではないかと家族は心配しましたが、どれだけ聞いても、やはり少女は思い出せないようで、様子は変わりませんでした。
家族は困惑していましたが、少女は不思議と産む気でいて、どんなに説得してもその気持ちを変えることはできないようでした。少女は森へ通いながら十月十日を過ごし、予定より少し早く、丸まるとした元気な女の赤ん坊を産みました。
少女は母親になり、赤ん坊を産んでからも森へ通うのをやめませんでした。
ある日、少し大人になった少女が赤ん坊を連れて小屋の扉を叩くと、かつては少年だった青年が以前の様ににっこりと笑って立っていました。
「やあ、なんて可愛い赤ん坊なんだ」
青年は赤ん坊を抱き上げて、あやす様に軽くゆらしました。その様子はとても手馴れていました。
「不思議だわ、まるでここが自分とその子の家の様な気がするわ。なんて落ち着くのかしら」
「ずっとここで暮らしてゆくかい」
青年は尋ねました。
「そうね、でもわたしたちには家があるわ。お父様やお母様がいらっしゃるし、急には決められないわ」
青年は少し寂しそうでしたが、赤ん坊を母親に返して、とれたてのキノコ料理を振舞ってくれました。赤ん坊にはまだあたたかい山羊のお乳があります。赤ん坊もご機嫌でした。
次の日、いつもの様に少女が森へ入って行くのを、少女の弟がこっそりと追いかけました。赤ん坊を背負った女足だというのにまるで通いなれているかのようにスイスイとわけ入ってゆきます。
弟は見つからないように隠れたり見失わないように早足になり、それを切り返しながらぜいぜいと息をしながら追いかけていました。
すると、一度は見失いかけた姉の姿が木陰に見えて、その背景に見たこともない小屋があるのに気づきました。
「お姉さんを誑かして、子供まで産ませた男が、あの小屋にいるに違いない」
弟は勝手に思い込んで、村の実家まで飛んで帰りました。
弟から事情をきいた家族はいきりたちました。嫁入り前の娘に手を出して、しかもどこの誰だかわからないなんて、とても許せることではなかったからです。
弟の知らせを受けた村の男たちは、それぞれの手に鎌や斧や棒を持って弟の後をついて森の中へ入ってゆきました。少女の父親を先頭に、恐ろしい形相で森をかき分けていきます。森の獣たちは一斉に逃げ出し、鳥がバタバタと羽をはためかせ去ってゆきした。
村の女たちは手に手を取り合って森の外から様子を伺いました。しばらく森はざわついていましたが、しばらくしたあとは、しんとして何の物音もたてません。女たちは心配になりずっと森を見まもっていました。しかし、結局男たちはその日森から帰ってきませんでした。
夜が更け、女たちは仕方なく家に戻りましたが、男たちのことが心配で夜も眠れません。森はしんと静まり返ったままです。森からは、不思議なことに美味しそうなシチューの香りが漂ってきました。
それから何日かたっても男たちは戻らず、女たちをたいそう心配させましたが、それがある日いっせいに戻ってきました。男たちは皆森の外で眠りこけており、その手にはキノコや山菜や、木の実がにぎられていました。少女の弟もいっしょです。みな一様に森のなかのことをすっかり忘れており、女たちが何を聞いてもぽかんとするばかりです。なぜ森に入ったのかさえ忘れてしまっており、女たちが少女のことを聞いても、やはりぽかんとするばかりです。不思議なことに、みなおなかはすいていませんでした。
結局それからしばらくたっても少女と赤ん坊は戻ってはきませんでした。村の女たちは、男たちがすっかり少女のことを忘れていたせいで、まるで自分たちが夢か幻を見ていたような気分になりました。一人、また一人と少女のことを忘れていきます。やがて村中の人が少女を忘れてしまいました。少女の母親も少女のことを忘れてしまいました。村はそれからというものとても豊かになり、森の奥からは時々美味しそうなシチューの香りが漂うのでした。