思考を柔らかくする文Ⅳ
『自分の限界を考えたことはありませんし、限界の存在は悲しむべきものではありません。』ヘレンケラーの言葉です。自分に出来ることを、ただやりましょう。自分にできることを、ひたすらやっていれば、出来ないもののことは、目に入らないのかもしれません。といった風な意味の言葉である。
あらかじめ、これが限界だな、と自分の行動に限界を設定してしまうことがある。それは本当に限界なのだろうか。なぜ、そこが限界だと断定できているのだろうか。
限界のない人はいない。が、限界を意識していれば何にもならないのである。例えば、50m走をしているとき、学校の先生にゴールを走りきれ、という風なことを言われなかっただろうか。限界というのは、いわばゴールであり、あらかじめ設定されているものなのである。
しかし、現代の人々はどうだろうか。限界は自分で設定してしまっている。50m走なのに、40mを勝手にゴールにしてしまっているのである。人間は楽しがちな生き物である。ゴールはできるだけ近い方がいいと考える。だが、周囲の人々や、自らの義務が影響して、少し遠いところに設定している。
することが可能なのにも関わらず、できていないという現状に気付けないのも、自ら設定した限界がフィルターとなっているからである。
ゴールを目前にすると減速してしまうのである。
なら、ゴールなど考えなければいいのではないだろうか。ゴールなど考えずに全力で走っていれば、気づくとゴールに到達しているものだ。その時に初めて、自分の持てる力すべてを発揮し、限界に達したといえるのである。
そう考えると、できないものなど考える必要も、考える可能性もなくなる。限界を悲観していては意味がないのである。限界があるということは、ゴールがあるということに等しい。
限界があるから、そこまでひたすらに走ることができるのだ。