ちょっとした行方不明・1
その日は昨日再開したばかりの放課後の練習を終え、1人で帰路についていた。相変わらず身体はバキバキと音がなるような気がする。これも日々慣れていくとは思うけど、たったこれだけの練習で慣れないのは当たり前だろう。
腕を伸ばしたりと軽めのストレッチをしながら歩いていたら、視界の隅に白い影が映る。
「……ん?」
影の方へと視線を移せば、真っ白な毛並みの綺麗な猫。だけど私は表情を歪めた。何故なら、左後ろ足が赤色に染まっていたからだ。明らかに怪我の痕。血の色だろう。
「おいで」
──……と手を伸ばした所で、相手は野良猫。来てくれるわけでもなく、何も言わずに足を引き摺りながらゆっくりとだけど、私から離れていってしまう。あの傷はヤバイと思う。私の動物好きは今に始まった事じゃないし、行きつけの獣医さんも居る。
里子探しに毎回ポスターを貼らせてもらっていた。色々と覚悟を決めて猫を追いかける。少し学校の裏手の山の中の入ってしまったが、気にせずに進むと猫の苦しげな鳴き声が聞こえた。
やっぱり辛いんだと思う。怪我をして心細いのもあるのかもしれない。
「猫さん待って。抱き上げるからね」
そう言って、うずくまる猫を今まで着ていたパーカーで迷わずに包み込んで抱き上げると同時に、何かが割れる音が響いたかと思えば、何故か感じる落下感。血が足元から上に逆流するかのような嫌な感覚。
それで自分が落ちていると理解すると同時に、猫を包んだパーカーをぎゅっと抱きしめた。落ちたのは一瞬。足から着地した私は立っている事が出来ず、ズルズルと壁に背をつけながら座り込んだ。
足が痛い。でも足から脳天まで突き抜けた衝撃に身体全身が痛いような気がするが、猫は無事だったらしく、にゃぁ、とか細い声だけど鳴いた。
月明かりだけで周りを確認してみたら、どうやら井戸に落ちたらしい。深さは3m程だろうか。板が折れて落ちたらしく、折れて尖った板が入り口を半分程塞いでいた。
早く病院に行きたいのにと焦る気持ちを迎えながら、鞄から携帯を取り出すと、見事に圏外だった。
流石にこれは拙いと表情を歪める。今、自分の顔を鏡で確認出来たのなら、間違いなく蒼白だっただろう。
私が、猫を追いかけて山に入った事を誰も知らないのだ。しかも、唯一の連絡手段であったはずの携帯は圏外という役立たずなものになってしまう。
「……どうしよう」」
しかも立てないという状態のおまけつき。
このままだと、間違いなく警察のお世話になってしまう。それは拙い。今は体育祭の練習で帰るのが遅くなっているのだ。その状態で、警察のお世話になんてなったら、練習に規制が入るかもしれない。
それは阻止しないと、
猫をしっかりとパーカーで包み込むと、手提げ鞄にパーカーで包まれた猫をいれて肩にかける。両足が痛いけど、猫を早く病院に連れて行きたい。石を積み重ねて作られた井戸。石の隙間に指差しをさし込み、少しずつ上に上がっていく。足が痛くて感覚がおかしいけど、気にしている場合じゃない。
1つ1つ上へ上がっていく途中で、左手を差し込んだ時にボロリと石が崩れ落ちた。そのまま落下していく浮遊感。
私は猫を入れていた鞄を両手で抱きしめると、襲ってくる衝撃に備えた。1m程の高さだったけど、狭い井戸の中で倒れるように落ちた。
背がぶつかり、弾かれて足から落ちていく。
今度の衝撃は痛いを飛び越え、感覚がなかった。
しかも今度は指先の怪我。爪がはがれかけている。でも、もう何処が痛いのかが解らなくなってきた。熱も出てきた気がする。
どうしよう。どうしたらいい?
この猫だけでも早く病院に連れて行きたいのに。
焦りだけが募っていく。
頭がこんがらがって冷静に答えが出ない。
こんな時にいつも思う。前世の記憶を持っていたとしても、何の役にもたたない。我慢出来ずにポロリと涙が流れた。
とめたいのに、次から次へとあふれ出す。右腕の袖で、流れる涙を拭うが、止まりそうにない。涙は止まらなかったけど、私は猫をいれている鞄じゃない方のトートバックの中に入っていた応急処置セットのケースを取り出す。
包帯とガーゼ。後は水もあったはず。消毒液は使って良いか分からなかったから、猫の足にガーゼをあて、包帯を巻く。さっきまでは逃げていたのに、今はすっかりと大人しくなってしまった猫に不安が過ぎる。
にゃぁ、と力なく鳴いた猫。
またパーカーで巻いて、手提げ鞄へと入ってもらう。
ついでに、私の手には絆創膏を貼っておく。足は自分じゃどうしようもないから放置しておいた。これは色々と覚悟を決めた方が良いのかもしれない。警察の人に捜索してもらった方が、見つかるのが早くなるかも、そうすればこの子を病院につれていける。
「すいませんっっ!! 誰かいませんかっっ!!!」
井戸の底でどれだけ声が出るのか分からないけど、大声を出し続ける。誰でもいい。誰かこの声に気付いて。
お願い。気付いて──!!!
少しでも気付かれるように、少し石を登り声を出した。腕も足も痛い。痛いけど、そんな事に構う余裕なんてない。
「誰かいたらここです!! ここにいます!! 誰か助けてッッ!!!」
この声が何処まで響いているのか。
誰かに届いているのか。
全くわからない。分からないけど、こうして叫び続ける事しか出来なかった。




