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体育祭準備編・5



 昨日、ぐっすり寝たのが効いたのか、スッキリしているが、とりあえず起きてから一番最初にした事は、自分の熱を計る事だった。ピピッと体温計の音が聞こえた。

 熱は35,1度。平熱だ。これから心配してくる面々に自信を持って言う事が出来る。熱は平熱だったよ、と。

 昨日は相良先生から貰ったプリンとヨーグルトを食べてからお薬を飲み、高級な栄養剤を飲んでから直ぐに布団に潜った。相良先生の言う通り、熱があったらしくてすぐさま眠りへと落ちていった。

 気がつけば、朝。

 妙にスッキリとした目覚めは、普段は飲む事のない高級な栄養剤のおかげだろうか。多分そのおかげで目覚めはスッキリしたわけだけど、普段は絶対に買わない栄養剤を相良先生に買ってもらってしまった、何とも言い難い罪悪感。1本1000円以上する栄養ドリンクに戦慄を覚えながら飲ませてもらったけど、本当に金銭感覚はどうなっているんだろう。

 普段10本入り598円の栄養ドリンクが、498円の時に纏め買いするというのに。この辺りは昔の影響だと思う。1本60円か50円か。自分の感覚的には全く違うのだ。

 ただし、両親の修羅場中の栄養ドリンクは高いものを用意してある。まるでグラフの右肩上がりのように、少しずつ良いものへとグレードアップさせていくのだ。最終的には1本2000円や3000円のものにたどり着く。

 これはお仕事の必要経費だと思っているので、勿体無いと思った事はない。思考がわき道に逸れたけど、相良先生は奮発し過ぎだと思う。

 ただの一生徒に1本1000円のドリンクは買わないで下さい。気持ちだけで十分だという事も、お礼と一緒に伝えておかないと。嬉しいけど困る値段だ。

 背筋を伸ばしながら、私はベッドから降りる。

 うーん。コキコキと身体が鳴る。汗をかいたらしく、どことなくジメッとしているような気がするから、朝食を作る前にシャワーを浴びてこよう。

 そう思いながら部屋の外に出てみると、鼻腔を擽る美味しそうな匂い。

 あれ? 疑問を抱きながらもリビングの扉を開ける。すると、そこに居たのは純夜だった。


「あ。姉さんおはよう」


「うん。おはよう……じゃなくて」


 私が作ろうと思っていた朝食の8割は作り終えているように見える。


「熱は……うん。下がったね」


 ピトッと額同士をくっつけて熱を計る純夜。相変わらず翳るほど睫毛が長いし綺麗な肌。慣れている私ですら、純夜の美貌には目を奪われそうになる時がある。

 あぁ、でも今は汗をかいてるから、近距離はやめてほしいなぁ。


「でも、薬で熱が下がった可能性が高いから、今日は薬を飲んで、帰りは真っ直ぐに帰ってきてね。体育祭の練習なんてしちゃ駄目だからね。それと朝食は俺が作っておくから、姉さんはシャワーを浴びて、しっかり乾かしてきてね」


「ん。わかった」


 純夜のテキパキとした言葉に頷き、私は浴室へと向かう。確かに熱は下がったけど、熱が出た名残がある所為か身体のだるさはとれていない。

 軽くシャワーを浴びて、純夜の言う通りドライヤーで髪をしっかりと乾かす。普段から朝食を作る為に早起きしているから、シャワーを浴びても、寛げる時間がある。あまり余裕がないのは好きじゃないんだよね。


「純君ありがと」


 制服に着替え、再びリビングへと顔を出す。完全に朝食を作り終え、純君はソファーに背を預けながら新聞紙を見ていた。

 そんな姿でさえ様になる。流石純夜。


「ううん。いつもやってもらっているし。こういう時ぐらいはお手伝いさせて。ね」


 蕩ける様な甘い笑顔を向けられるが、私はにこっと笑って純夜の言葉を有り難く受け取る。何でもかんでも全部自分だと、こういう事態には対処出来ないし。


「ありがとね。でも、いつも頼ってるよ」


 ご飯を作る以外では純夜の方がしっかりしてるし。姉なのを良い事に甘えまくってます。


「んー。本当は休んでほしいんだけど、行く気満々だよね」


 制服姿の私を見て、純夜が呟く。


「うん。行くよ。熱は下がったし。でもお薬は飲んでおく。ぶりかえしたら嫌だし、真っ直ぐ帰ってくるから大丈夫だよ」


 自分の定位置となった椅子に座り、私は両親が降りてくるのを待つ。すると、目の前に差し出されるマグカップ。レモンの香りがいいなぁ。


「ビタミンCを摂るようにね。食欲は?」


「ある。とは思うんだけど」


 いまいち自信はない。一応密かにお腹は自己主張しているんだけど、食べ始めた途端に思ったより食べれなかった、という事はよくある。自信なさげに言うと、純夜は1回頷くと。


「食べれなかったら残して良いからね。父さんと母さんは後で食べるっていうから、先に食べちゃおうか」


 そう言ってもらえるとホッとする。

 残したら悪いと思って無理に食べると、今度は胃にきちゃうんだよね。


「うん。ありがとう。それじゃあいただきます」


「いただきます」


 相変わらず純夜に甘えまくっている私だったけど、お腹の自己主張はあっていたらしく、純夜が作ってくれた朝食は余る事なく胃の中へと収められた。

 良かった良かった。

 安堵しながら、椅子からソファへと移動する。身を沈めるようにしながら、純夜の淹れてくれた飲み物を飲む。朝からシャワーを浴びたからなのか、ちょっとだるいなぁ。でもこれぐらいだったら行けない程じゃない。

 食後のデザートに相良先生から貰ったヨーグルトを食べ、無言のまま発売元を見る。これ美味しい。今度お店で調べてみよう。


 早めに出ようとリビングを出た所で、恐らく修羅場中であろう両親が階段を下ってくる。


「……いつもの場所に入ってるからね。それじゃあ行ってきます」


 いつもの場所というのは、両親専用の栄養ドリンクの置き場所の事。相良先生から貰ったものは、私の部屋の冷蔵庫に入っている。それぞれの部屋に冷蔵庫はあるんだけど、両親の場合はそこに栄養ドリンクを入れてしまうと、下に下りてこないでそのまま修羅場を乗り切ろうとするのだ。

 だから栄養ドリンクは上に置かず、リビングに置いて最低一日一食は食べてもらうようにしてる。


「あまり無理しちゃ駄目だからね」


 修羅場中でも私の様子が気になったのか、母から言われて頷く。


「うん。ありがとう」


 こんな何気ない言葉でも嬉しいな。今日は一日頑張ろう。そんな気分のまま学校へと向かう。今日は私が早く出たから、珍しく1人で歩く。

 相良先生にお礼を言うのと、好みをお菓子を聞くのだ。勿論、作って渡すのが目的だ。あまり遅くなって生徒の数が多くなってからそれを聞くと、あらぬ疑いをかけられても困るしね。お互いに。

 相良先生は職員室にもいるけど、それ以外の時間は割りと屋上にいたりする。朝の屋上は人の姿は殆どない。だから、この時間にはよくここにいる。こそっとしたい私にとってみたら、寧ろ好都合。

 お礼と好きなお菓子。それと注意を一つ。相良先生の気持ちは嬉しかったけど、やっぱり高過ぎる金額には萎縮してしまう。

 手作りしたものをネットオークションとかで売ったりして、小銭は稼いでいるとはいえ、それの殆どは材料代に変わる。とりあえず作る事が好きだから、その循環はすごく満足している。それと両親から貰う小遣いは月に5千円。自分のお小遣い1ヶ月分に相当するようなものを貰ってしまったのだ。

 萎縮しないはずがない。

 先生の給料からすればたいした事はないのかもしれないけど、生徒に対してはもう少し財布の紐はしっかりと結んでおいた方がいいと思うのだ。

 それは紛れもない私の本音。

 一定のリズムで階段を駆け上がり、屋上に続く扉を開ける。やはりというか、人の姿は見えない。ただ1人を除いて。


「相良先生。おはようございます」


 私は迷う事無く、その背に向かって声をかけた。

 すると、扉の音ではなく、私の声に反応して、ゆっくりとした動作だけど私の方を向いてくれた。真っ直ぐに届く眼差し。


「おはよう。体調は大丈夫か?」


「はい。昨日いただいたものが、すっごく活躍してくれました」


「そうか。それなら良かった」


 私の言葉に、相良先生は笑みを浮かべる。分厚い眼鏡に覆われていても、それぐらいはわかる。


「でも先生。すごく嬉しいんですけど、お金を使いすぎです。

 そんな事を生徒にしていたら、勘違いしちゃう子が出ちゃいますよ」


 気付いている人は少ないけど。寧ろいるのか不明だけど、相良先生の顔立ちはものすごく整ってる。

 純夜で耐性がついている私ですら、一瞬くらりとする美形っぷり。これで攻略相手じゃないなんてと思ったぐらいだ。

 眼鏡一つで全てを誤魔化す相良先生が凄いと言えばいいのか。

 スッと通った鼻筋。形の良い唇。引き締まった身体。

 男の人らしく、骨ばった手が伸びてきて、私の頭を優しく撫でてくれる。まるで壊れ物を扱うように優しく。その心地よさに、思わず身を預けてしまいそうになるけど、預けるわけにはいかない。

 これも注意しないと。こういう行為だって、女生徒を勘違いさせてしまうと再度口を開こうとしたら、撫でている手とは逆の左手の人差し指を、私の唇へと当て、言葉を封じられてしまう。

 その後、一連の流れのように親指と人差し指で私の顎に優しく触れると、くいっと強制的に顔を上に、相良先生の方へと向けさせられた。何だろう。そんな迷いが、私の動きを止める。

 すると、親指で私の唇をスッと撫でた。

 それに頭が追いつかず、私は見事にその場に固まってしまう。一体なんだろう。何が起きているんだろうか。

 ぞくりとした感触が背中を通り抜けるけど、私は相良先生を見上げるばかりで何も出来ない。

 私の心情なんて全く気にした素振りは見せず、相良先生は顔の半分を覆い隠している分厚い眼鏡を外した。そこにあったものは、碧の瞳。思わず吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳が輝いているように見えた。



「勘違いをしてほしいから──……した。

 清宮。そろそろ周りを見ろ」


「……」


 相良先生の言葉に、私は言葉を発する事も、動く事も出来ずにいた。


「それじゃあ、また後でな」


 最後に、私の頭を一撫でしてから立ち去る相良先生。

 あまりに自然な動作で撫でていったけど、いつもの触り方と違う事だけはわかる。


 私は動く事が出来ず、ただその場に立ち尽くす事しか出来なかった……。






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