一足遅れてやってきた攻略相手・1
「これ、落としましたよ」
そう言って差し出されたのは、鞄につけてあったストラップだった。
今日は土曜日で、欲しい物があったから電車に乗ったんだけど、まさか会うとは思ってもいなかった相手の登場だっただけに、正直驚いた。
田端 清。純夜の攻略相手だ。
ラウンドショートの髪形で、サイドとえり足は短くカットされていてスッキリとしてる。髪の色は兄と同じ赤茶だけど、赤みは兄の方が強く出ている。
「ありが…」
礼を言って受け取ろうとしたら、誰かの肩に押されて、身体が倒れそうになる──が、田端弟が私の身体を支えてくれてる。身長の差は10cm程だけど、やっぱり男の子。
筋肉のつき方が違う。しかしこれだから満員電車は…。
体勢を立て直そうとしても、背中が押されていて戻せない。私を受け止めてくれた田端弟君に抱きしめられるような格好になっているけど、この状態は何とかしないと。
体を捩って、田端弟の腕の中から出ようとしても、無駄な努力で終わった。
「清宮先輩。少しジッとしてた方がいいですよ。次の駅はもうじきですし」
名前は……知ってて当たり前か。純夜のお姉さんだし。もう純夜との出会いシーンは当の昔に済んでるか。もう6月に入ったし。
「ごめんね。ありがとう」
とりあえず先にごめんねとお礼を言っておく。離れたらもう1回言うけどね。しかし落ち着かないなぁ。若い子の胸に顔を埋めている体勢って。
心臓の音まではっきりと聞こえる。心なしか少し早いような……私の頭突きで胸部圧迫状態になってるんじゃ……。次の駅まで耐えてね。そうしたら頭痛状態から解放されるから!
早く着けと願っていた所為か、たかが数分の時間が異様に長く感じた。私でさえこれだから、田端弟君はもっと苦しかっただろう。
次の駅が目的地で良かった。丁度人ごみにも酔ってきた気がする。駅に着いたらこの人ごみに押されるようにしながら外に出て、手短なベンチまで誘導され腰をおろす。
「大丈夫ですか?」
「ん……大丈夫」
私よりも大丈夫じゃないのは君だろうと思ったけど、言葉にはならなかった。
もう少しベンチに座っていれば落ち着くかな。仕方ない。このまま動いた所で途中で具合が悪くなりそうだし。
「先輩」
あぁ。そういえば君がいたっけ。一瞬、本気で忘れてた。
「お水です。飲めるようなら飲んでください」
すっかり忘れていたのに、近くの自販機で水を買って私に渡してくれる。
「え…と……ありがとう」
お水は遠慮なくいただく事にしたけど、君の方が状態は酷いんじゃ……と思ったけど、全然私より元気だった。
……年の差だろうか。
本気で考えながら水を飲む。喉を通り抜ける冷たい水が、気持ち悪さを流してくれるような気がして、いっきに半分程の水を飲んだ。はぁ……落ち着く。前からだけど、この満員電車だけは本当に慣れない。座って水を飲んだおかげなのか、気持ち悪さが随分と取れてきた。
鞄から財布を取り出す。お水って幾らだっけ。
「お金はいらないです」
値段を聞くより先に、田端弟君が言いきる。いやいや。ある意味気味の事は知ってるけど、ここでは初めましてだからね。
「ううん。流石に初対面の人に奢ってもらうわけにはいかないから」
これが友達ならまだしも。
私の言葉に、田端弟君はにこっと笑った。兄の方とは違い、腹黒さは感じなかったけど。兄の方は何か引っかかったんだよね。
「憧れの清宮先輩からお金は受け取れません。しかも勝手に買って、押し付けただけですし」
……将来、変な壷とか買わされないといいけど。
田端弟君の言葉にひっかかったけど、どうしようかな。
やっぱ奢られるのはなぁ。
「それじゃあ、飲み物は何が良い?」
奢り返す事に決めた。これなら何の問題もなし。私の意志が伝わったのか、田端弟君は困ったように笑った後で、缶コーヒーで良いと言ってくれた。買ったのはブラックコーヒー。ふむ。砂糖もミルクもいれない派なんだね。どうでもいい情報を増やしながら、私は買った缶コーヒーを田端弟君へと手渡す。
うん。これならいい。
「ありがとうございます」
何処か照れながら受け取る。どうしてこれで頬を朱色に染めるのか。おばさんには若者の心は分かり難いね。昔あったかなぁ。そんな事。昔を思い出しても全く思い出せない。甘酸っぱい記憶。
本当に昔から縁がなかったんだなぁ。あぁ、何か悲しい。
今日は息抜きに買い物に来たのに、何を悲しくなっているんだろう。まぁ、いいんだけどね。気を取り直して、拾ってもらったストラップを鞄へとつける。星と月のストラップ。純夜からの誕生日プレゼントだったから、拾ってもらって本当に助かった。銀のチェーンには小さな星がついていて、先端には大きな月と星が1つずつついているストラップだ。
このチェーン同士が奏でるチャランとした音も気に入ってる。チェーンの音も昔から好きだったんだよね。子供ながらにチェーン同士が擦れ合って鳴る音が楽しくて、それが大人になってもという感じだったかな。
──……と、昔を思い出している最中でもいるんだよね。田端弟君が。しかし本当に腹黒な感じはないなぁ。兄の方もゲームでは腹黒ではなかったんだけど。それにしても憧れと言われても、私の何処に憧れる要素があるというのだろうか。
謎なんだけど、その辺りを考えていても仕方ない。
「これありがとね。気に入ってるからすごく助かった。それ以外も迷惑掛けえてごめんね。ありがとう。それじゃあ私はそろそろ……」
買いたい物があるからフェードアウトしたいんだよね。助かったけど、心配されていた体調は大丈夫になったし。
「大丈夫ですか?」
田端弟君が心配そうに聞いてくる。
あぁ。そういえば私と田端弟君とはさっき言った通り初対面だ。名前を知られてる事には何も言わず、相手の名前を聞かないっていうのもおかしいよね。
「うん。大丈夫になったよ。ありがとね。それと今更なんだけど、名前を教えてもらってもいい?」
攻略相手だから必要最低限な事は知ってるけど、相手は知らないもんね。本当に危ない。油断しないようにしないと。
「あ……そうですよね。俺は成宮学園高等部1-Bの田端清って言います」
うん。知ってる。言わないけど。
「田端清君ね。今日はありがとう。田端君」
「……え……と。3年に兄がいるので、清って呼んでくれると嬉しいです」
少し照れたように微笑む田端弟君。どうしてこの世界の男の子って、頬を朱色に染めて照れながら言うんだろう。
可愛いから良いんだけどさ。
「わかった。清君ね」
「はい。清宮先輩。気をつけて下さいね」
「うん。ありがとう」
素直な清君。ちょっと可愛いし、兄とはすごく印象が違うなぁ。
「いえ。こっちこそ手助け出来て嬉しいです」
ものすごく照れながら言う清君。もはや何も言うまい。
「助かったのはこっちだけどね。それじゃあ清君。またね」
「はい。また」
……また、と言った時に清君のテンションが上がったのが、目に見えてわかった。
何故そんなにテンションが上がるのか。
やっぱ最近の子って難しいなぁ……。




