先生に近付かないで・峰岸明美視点・1
入学式、何処か面倒そうに壁に寄りかかっていた先生。
そんな先生に、一目惚れしました。
1学年上の担任だった先生──武長先生と私の接点は少ない。全体集会のときや学校行事でしかその姿を見る事が出来ない。
理科で化学を選択してしまった私は、一番重要な授業中に会えるという大切な時間を得られず、ただ見ているだけだった。
だからこそ気付いてしまう。先生の視線の先にいた人物に。
清宮璃音先輩。一つ年上の、先生のクラスの生徒。これだけでも十分過ぎる程羨ましいのに、生物を選択した清宮先輩は授業中でも一緒に居られる。
廊下ですれ違えば、頭を撫でられ、当たり前のように笑みを向けられる。
先生。貴方の好きな女性はあの人なんですね。
美術の授業で描かれた絵に見惚れてしまった。美術部でもないのに、毎日絵を描く事に打ち込んでいるわけでもないのに。
人気のある弟に負けない程の人気があり、整った容姿は憧れでもある。勉強面では常に10位以内をキープ出来る頭脳。
器用で料理も上手い。
才色兼備と名高い清宮先輩。
先生に好かれていなければ、他の女の子たちみたいに憧れる事が出来た。
──…でも、先生に特別に好かれている清宮先輩を、私は憧れる事なんて出来なかった。ただのライバルでしかない。
ううん。私は同じ土俵にすら上がれていない。だって、先生が好きなのは清宮先輩だもの。それなのに全く気付かない清宮先輩。
あそこまで分かりやすくアプローチしているのに、どうして気付かないんですか? わざとですか?
そんな疑問が浮かんでしまう。
接点はないけれど、少しでも会えたら嬉しいと、友人が所属している美術室に顔を出す。美術に興味があるといって、見学させてもらっているのだ。
ここは旧校舎。先生はよくここにある理科準備室に居るから、ひょっとしたらすれ違えるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、私は美術室に足を運ぶ。
先生の事は友人にも言っていない。先生の事を本気で好きなんて、誰かに言えない。
その時、扉が完全に閉まっていなかったのか、廊下から声が聞こえた。意識してしまっている声だから分かってしまう。清宮先輩の声。私は無意識にケースから絵の具を取り出し、声の聞こえた方向に向かって歩き出す。ポケットの中で握った右手が、何故か熱い気がした。
仲が良さそうに男の先輩と話している。確か海藤先輩──という名前だったと思う。明らかにあの人も清宮先輩が好きなのに、それに気付かない。
ここまで気付かないなんて、やっぱりわざとなんじゃないだろうか。そんな考えが脳裏を過ぎる。
私はポケットに入れてあった絵の具を手に持ち、蓋を外す。
和やかに話していた海藤先輩と別れた清宮先輩。丁度よく、私の居る方に向かって歩いてきてくれた。
そんな清宮先輩の身体に、わざと当たる。
「あ…すいません」
そう言えば。
「ん…あ…こっちこそすいません。考え事をしてて」
清宮先輩も謝罪の言葉を口にした。
蓋を外した絵の具をブレザーにたっぷりと押し付けた。ぐにゃりとした感触。気付かれないように下を向けば、清宮先輩のブレザーにはたっぷりと絵の具がついている。
ちょっとした罪悪感と、それとは真逆の感情。
こんな幼稚な嫌がらせなんて、私の価値を下げるだけ。分かっていても止められなかった。
でも、清宮先輩はこんな事じゃ全く気にしない。
ブレザーのポケットに入っていたポーチを取り出し、そこから取り出したケースに入った何かでブレザーを洗う。
あぁ。本当に全くといって良い程堪えていない。
こんな嫌がらせじゃ全く効かないんだ。
罪悪感以上に、もっと困ればいいのに。そんな感情が浮かんだ。
直接、先生に近付かないで!と叫んだ方が効果があるんだろうか。
でも、きっと無駄。
誰かに告げ口されて、私という存在を知らない先生が、清宮先輩に余計な事を言った生徒として認識されるだけ。
それは嫌だ。そんな意識のされ方なんて許せない。どう足掻いても、私じゃ清宮先輩には勝てないもの。
──…本当に?
私の中の何かが囁く。
清宮先輩が他の誰かと付き合ったら、私にも機会があるんじゃないだろうかと。
でも誰? 誰が清宮先輩の相手に選ばれるの?
もし武長先生だったら……。
背中に、冷たいものが走り抜ける。“もしも”の可能性を捨てる事は出来ない。
先輩。
お願いだから先生に近付かないで下さい。
先生に態々近付かなくてもいいでしょう。
先輩だったら、誰だって選べるでしょう。
先生から離れてください。
私の大好きな先生に近付かないで下さい。
先生が好きです。
先生が大好きなんです。
どうか私に気付いて。
大好きな先生……。




