10年前の借り・水守統矢視点
兄である桐矢がやらかした相手に、かなりの量の薬を押し付けるように渡した。いつもだったら一切関与なんてしないが、今回はその相手が問題だった。
清宮璃音。
隣のクラスの女と言い切るには疑問が残る相手。
俺にとっては特別な出会いだが、相手にとってはありふれた邂逅。記憶の片隅に引っかかっていればまだマシ、と言った所だろうか。
今から10年前。俺と清宮璃音は出会っていた。
家族旅行の最中、要領のいい桐矢が中心になって動いている事が嫌で、お腹が痛いと嘘をついて1人の時間を作った。
桐矢が行きたいと言い、俺も言って土産をお願いすれば、両親は遠慮なく俺をホテルに置いていった。
家族での立ち位置はこんなものだ。
ホテルで缶詰状態になるのも嫌で、鍵をフロントに預けて外に出た。土地勘がないから詳しくはわからないが、ホテルに周辺マップが置いてあったからそれを一枚手に取り、それを参考に歩いていく。
たどり着いたのは小さな公園。
遊ぶ相手のいない公園は寂しく、ブランコに腰を下ろしながら溜め息を落とす。おおよそ、小学二年生らしい行動とは程遠かった。
ただ、時間を潰す為だけの公園。
何を言っていいかわからず、ただボーとしながら公園を見渡す。時間が早いのか、まだ子供たちの姿は見えず、いるのは自分だけ。苛立ちをぶつけるように石を蹴り上げた。
けれど心は全くはれない。
「どうしたの?」
「──ッ!?」
誰も居ないと思って石を蹴っていたのに、突然現れたかのように見えた女の子に、過剰な程驚いてしまう。
近くに立ち、俺に声をかけてきた女の子は俺と同じぐらいの年に見えた。
「私は清宮璃音っていうの。貴方は?」
「……み…ずき」
名前を聞かれ、思わず嘘の名前を言ってしまう。
「ふぅん。ミズキ君ね。今暇? 暇なら遊ばない?」
そういった女の子──清宮の言葉に、俺は素直な感情を表には出さず、清宮が遊びたいなら遊んでやってもいいと上から目線で言葉を紡いだ。
「別にいーけど」
畳み込むように言ってきた清宮におされただけかもしれないが。けれど初対面の女の子の勢いに負けているのに、不思議と怒りは沸いてこなかった。
遊びは単純で、ブランコでどちらが遠くまで飛べるか。どちらが早く上まで上れるか。タイヤの跳び箱で遊んだりと身体を動かす遊びが殆どだった。
遊びつかれて肩で息をし始めた頃、清宮が手招きを俺を呼ぶ。
「何?」
「どれがいい?」
子供が持つには大きい鞄の中から出てきたのは、何種類かの飲み物とお菓子。
「……コーラ」
「うん。どうぞ」
ペットボトルを受け取り、キャップを開けて飲む。身体を動かしたからなのか、冷たいコーラがいつもよりもすごく美味しく思えた。
「……」
「んー。美味しい。身体を動かした後の飲み物は美味しいね」
「……うん」
素直に答える自分に驚く。ここに来た時は最悪だったのに、今は疲れたのか気にしていない自分がいた。
だけどそんな時間は長くは続かなかった。
俺の家は一般的に見て“お金持ち”に分類される。桐矢はそういう人たちが多く通う成宮学園の初等部に通っているが、俺はあえて不通の学校に通っていた。
兄である桐矢と同じ学校なんかに通いたくない。ただそれだけだった。兄にしか興味のない母は好きにすれば良いと言い、父は一般の学校に通うのも勉強になるかと許可をくれた。
だから学校は違い、その中で兄とは全く違う交友関係を築けるのは嬉しかったし、楽しかった。
けれど忘れていけなかった事がひとつだけある。ものすごい金持ちではないけれど、身代金を請求出来る家柄だったという事を。
いつの間にか俺と清宮の周りには20代ぐらいの男達が3人程いた。囲まれているわけじゃないけど、小学2年生の俺から見れば、絶望的な人数だ。
ボディガードなんてつける必要はないそこそこの家を狙ったのか、男の1人がナイフをちらつかせ、刃の先を俺へと向けた。
「おぼっちゃん。暴れなきゃ何もしねぇから、おとなしくこっちに来るんだ。そこの嬢ちゃんに怪我なんてさせたくないだろ?」
「──ッ」
別の男が持っているナイフは、清宮へと向けられている。俺は辺りを見回し、木によってここが死角になっている事に今更気付いた。子供2人に大人が3人。どう考えても逃げられそうにない。
ここは観念して男達についていくしかないと、俺は悔しさから頭を下げた──…瞬間、けたたましい音が鳴り響いた。
辺り一帯に響く音。これなら目では見えない死角なんて関係ない。余裕だと思っていた男たちは慌てて、ナイフを持った手で俺を掴もうと腕を伸ばしてくる。この音に人が集まってきて混乱状態に陥ったのか、周りなんて見ずに俺だけを狙ってきたその腕を、何かが弾き飛ばした。
男達が今の状態を確認するより早く、ナイフごと手を弾き飛ばされた男が地面へと転がっていた。目の前で起こった事なのに、俺でさえ状況が掴めない。
「ミズキ君! こっち!!」
その声とともに俺は腕を引っ張られ、公園の近くにあったコンビニまで移動していた。いつの間にか音は消えていた。それにさえ気付かない程何も考えられず、避難出来た場所がここだったと、清宮にさっきまで引っ張られていた手を見る。ほのかに赤くなっているが仕方ない。
逃げれるなら逃げた方がいい。俺はそう思う。実際逃げれたのは清宮のおかげで、俺は呼吸を整えながら清宮を見た。
俺の目に映った清宮じゃ、俺の右手を握り締めていた左手とは逆の手に、腰の辺りまである棒状のものを持っていた、
布で包まれているため、はっきりとした事は言えないが。
「それ……」
「竹刀だよ。おじいちゃんから習ってるんだけど、ご褒美に私専用のものを作ってくれたんだ」
清宮はにっこり笑って言うけど、本当に聞きたい事はそれじゃないのに、上手く言葉が出てこない。喉につっかえている感じだ。
「捕まるって
思ったから、男の急所に一撃入れて逃げただけだよ。明らかにこっちの分が悪いから容赦せずにね。中途半端に攻撃を仕掛けたら、逆にこっちの身が危険に晒されるから、やるなら躊躇しちゃ駄目って教わったんだ」
「そうか。防犯ブザーは?」
「両親から買ってもらったやつだよ。一見防犯ブザーには見えないでしょ。可愛いしお気に入りなんだ」
「そうなのか…」
たしかに、鞄にぬいぐるみタイプのもこもこのストラップをつけているとしか見えない。つまり結果を考えれば、俺は何も出来ず、俺と同じぐらいの女の子に助けてもらったのか……。
清宮は気付かなかったが、俺の心は完全に砕かれていた。
女の子に守ってもらって助かった。
それに清宮は既に呼吸を整えていたが、俺はもう少しかかりそうだ。そんな俺に気をつかったのか、清宮は飲み物を買い、俺の手を握り外のベンチへと腰を下ろした。
渡された飲み物はポカリスエット。汗をかいた後にはものすごく美味しく感じられた。なんかさっきから、貰ってばかりだ。何かお礼をと思っていたら、清宮は車道をジィッと見ていた。その視線の先を追えば、見知った車が一台止まっている。
時計を見たら、ホテルから出て3時間程経っていた。そんなに経っていたとは思わなかったから驚いた。不思議過ぎるというか、強すぎるというか、俺を助けてくれた変わった女の子だと思いながら清宮を横目で清宮を見ていたが、あの車に乗っていた桐矢が窓を開けて顔を出して俺に手を振る。
「体調が良くなったなら一緒に行こうよ!」
一番見たくない双子の兄である桐矢の顔。嫌そうに顔を顰めるけど、桐矢は気付かずに俺の隣に座っていた清宮に視線を向けてきた。
「誰? その子??」
「……」
今までも。そして多分これからもだけど、大体の人間は桐矢と仲良くなる。俺のほうが先に友達だったとしても、気がつけば俺なんかより桐矢と親しくなっていた。清宮もそうだろうか。きっとそうだな。そんなふうに考えて諦めた。
「双子なの? あんまり似てないね」
「え……?」
「ん? 似てるの??」
「…自分じゃよくわからない」
初めての反応に戸惑いながら会話を続ける。
「そっか。身内が迎えに来たなら私は帰るね。遊んでくれてありがと」
清宮はそれを言うと、身を翻して車とは逆方向へと走り出す。
自分がいない方がいいと思ったのかもしれない。
気を使ってくれただけかもしれないけど、清宮──…璃音の言葉は凄く嬉しかった。似てないと言い切った璃音の言葉。
「あの子は何だったの?」
「知らない子」
名前だけは知っているけど、それを桐矢に教えるつもりなんてなかった。
「そうなんだ」
納得していないのか、璃音が走り去った方向を見ているけど、そんな桐矢を横目に身ながら車に乗り込む。
この時荒んでいた俺は、璃音に助けられた。
本人は覚えていないだろうけど……。
それでも、あの時の俺は璃音に救われて今がある。
それだけは間違いない事実だった。




