ストーカー事件・清宮正信視点・2
保護者説明会に行く為に身なりを整える。璃音の手の平の怪我には気をつけてとしか言えず、下駄箱の件に関してのみ連絡を受けた事を言った。心なしか璃音の表情がホッとしたものに変わる。璃音にとって多数に仕掛けられた細工より、押されて怪我をした手の平の方が重要だったらしい。
怪我の度合いからすると、手の平怪我の方が酷い。治るのに時間がかかるのは手の平の方だ。既に治療を施されていた為、それを直接確認する事は出来ないが。
怒りで口元が引き攣りそうになるのを意志の力で抑え込んで、俺はいつも通り璃音と純夜の頭を撫でた。
「行ってくるな」
「いってらっしゃい。夕食までには帰れそう?」
「大丈夫よ。その頃までには帰るから。今日のメニューは何?」
「コロッケと厚切りベーコン。キャベツの千切り。ベーコンは自家製のものだよ」
「本当? すごく嬉しいわぁ」
夕食は花音と俺の好きなメニューだった。これから行って気が滅入るだろうと思い、それにしてくれたんだろう。
本当に出来た娘だ。しっかりし過ぎていてちょっと寂しいが。もう一度頭を撫でて、今度こそ家を出た。
これからどういう説明を受けるのか。学園側の対策はどうなるのか。聞きたい事は山ほどある。けれど、純夜と璃音がこれ以上傷つかない。それが一番だ。大切な子供達がこれ以上傷ついてほしくない。それは何処の家庭でも同じだろう。
好き好んで子供の怪我した姿を見たがる親なんていない。そんな事を考えていたら苛々が表に出ていたのか、わき腹に花音の肘があたる。また表情が凄い事になっていたらしい。
それは仕方ないと思うのだが、花音のもっと余裕を持ってほしいという気持ちも解る。腹をたててぶつかるだけだったら、本質が歪み、真に聞きたい事を聞けなくなる可能性もある。
冷静に話を聞いて、相手に全てを出させてから反論した方がいい。それは解っている。解ってはいるが、俺は花音と同じように笑みで表情をコーティングする事が出来ない。
花音のこの笑みは一見儚げに見えるが、その実ものすごく怒っている表情だ。こうなった時の花音に対して、俺は怒りを収める方法が未だにわからない。
連れ添って16年経つが、ここまで花音が怒る事を殆ど見た事がない。璃音だったら花音の機嫌をなおすなんて造作もない事だが、俺には難しい。一緒にすごした年数は殆ど変わらないというのに。
なんとなくだが、胃袋を掴まれてるっていうのは、こういう事にも関わってくるんだろうなと実感しながら、俺と花音は駐車場に車を止め、教室へと向かう。
今回は学校全体に関わる事だから、教室が広い特殊教室へと足を踏み入れた。思ったよりも少ない人数だった。被害にあった生徒が少なかったからだろうか。まぁ、急な事だったから都合がつかなかっただけかもしれないが。
ここにいる大半の両親は、子供に被害が及んだ両親だけなんだろう。3年生は璃音が最初の被害者だったらしく、他に被害は一切ない。1、2年生の被害者は2人だが、両方とも女の子だ。少量とはいえ、顔にかかってしまったらしい。
2人とも純夜とは同じクラスの子だ。
璃音にたっぷりと使った理由は、他に比べて一方的な憎しみが強かったからだろう。確かに、今の純夜にとって特別は璃音だ。
両親である俺達にはわかったが、一方通行とはいえ純夜を見続けた女生徒も気付いてしまったのだろう。純夜の特別に。
気付いたからといって、相手を傷つけていいわけじゃない。そんな自分の感情だけで璃音を傷つけるのは、身内の俺からしてみたら絶対に許せるものじゃない。
淡々と話が進んでいく中、俺は呆れた眼差しで加害者の両親を見ていた。
口では謝罪の言葉を言っているが、その表情は本当に悪いと思っているのかは疑問でしかない。俺達一般市民とは違いそれなりの家柄らしく、どちらかというと2年の被害者2人の両親達とは商談の話をしているかのようだ。
加害者の両親もそれなりの家系だ。このままでいくと、幾つかの取引をして示談が成立しそうだ。子供の治る怪我より、これからの事を考えているらしい。
正直俺にはわからない。それは一般市民だからだと言われたら、それがどうしたとしか言うべき言葉が見つからない。
金でしか判断が出来ないのかもしれないが、誰もが金に跪くわけじゃない。まぁ、うちはそれなりに貯えをしているから言えるのかもしれないが。
だけど今、それ以上に気になる事がある。
隣に無言で座っている花音。
先ほどから会話には参加せず、ただ目の前のやり取りを見ているだけ。“無言”の圧力がとんでもないのだが、一切気付かないのか? 気付いているのは俺だけなのか?
寧ろ何故気付かないんだ。それが不思議で堪らない。
背中に嫌な汗が流れ落ちる、が怖くて隣を見る勇気がない。目の前の取引が終わり、河野さんの父親の方がこっちに謝罪の言葉を言った瞬間、ガタリッと音が鳴った。
花音が立った音だ。
突然の事に、ここに集まった保護者達も一斉にこちらを見る。
花音はそんな驚きの視線なんて気にならないのか、全く意に介していない。
「謝罪の言葉はいりません。治療費もいりません。
ただし、許しません。うちの大切で大事な子供達に怪我をさせた事は、私が死んだ後も許しません」
花音の言葉と表情は全く合っていない。それが余計に怖さを倍増させる。こういう時ばかりは、花音の綺麗な笑みは怖くて仕方ない。
あれだけ意気込んできたのに、父親の威厳も何もない。正直に言えば、花音の怒りに圧されて、前を見るだけで精一杯だった。
何かが総崩れしたような気がするが、花音が本当に怒った時はいつもこんな感じだったような気がする。
「言いたい事はそれだけです。それでは私たちはこれで失礼します」
言いたい事だけ言って、花音は颯爽と立ち去ろうとする。勿論この場にいる先生達全員から止められるが、花音はにっこりと笑って“さよなら”の言葉を残し、教室から出て行く。花音に気を取られている間に、俺も別の扉から教室から出て行く。今更引き止められても俺はこれ以上何も言えない。
しかし……父としての威厳は何処に行ったんだろうなぁ……。




