初めてのイベント・1
内心は、すっかり飯炊きおばさんと化しているのかもしれない。
美味しそうに私の作った朝食を食べる両親と弟を見ていると心底そう思う。
まだ17歳。精神年齢はアラフォー……。それを考えると、飯炊き係りでも仕方ないとは思うけど、一応気をつかって17歳。高校三年生の演技はしているんだけど、璃音が高スペック過ぎるのも問題だと思う。
弟も父も母も高スペックだけど。ちなみに、母が生きているのに私がおさんどんをやる理由は至って単純。母も父も売れっ子小説家。二人とも高い能力を誇るわりに、家事については壊滅的。小学校に上がる頃には私の味覚が悲鳴をあげ、家事の権利を勝ち取らざるを得ない状況に追い込まれた。
私が結婚をしたらどうするつもりなんだろう。
通いおさんどんをする羽目になりそうな気がするんだけど、今は考えないでおこう。
私の作った朝食は、美味い美味いと褒めながら食べる家族によって、無事胃の中へと収まった。
美味いと言われるのは嬉しいし、料理も嫌いじゃないから良いといえば良いのかな。
それに進学先は選り取りみどり。受験もたいしたプレッシャーにはならない。流石優秀な頭脳を持っている璃音。今は私が璃音だから自画自賛になってしまうけど。
「璃音の作るご飯は美味しいなぁ」
食後の余韻を楽しむように父がお茶をすすりながら私に言う。
「流石私の娘よね」
それに母も続く。
「姉さんは流石だよ」
キラキラの眼差しを向けてくる純夜。
人懐っこい大きな瞳。柔らかな茶色の髪。適度に筋肉のついた身体は無駄なく引き締まっている。
けれど男性にしては華奢なのか。私よりは太いけど、他の男と比べたら細身に見える。この辺りは流石BLの主人公というやつなのかもしれない。
「ありがと。皆が食べてくれるから、私も嬉しいし作るの楽しいよ」
これは紛れもない本音。作りすぎても問題ないぐらいしっかりと食べてくれる。ついでにお菓子も作ったりするけど、それも作りすぎても大丈夫。寧ろ両親からはお菓子作りの依頼もある。
私の作るお菓子が出版社の人に好評らしい。だからお土産用として大量に作ったりしてる。私も友達にあげたりするしね。
「ごちそうさまでした。そうそう。お菓子のリクエストがあったら言ってね。今週は大量に作るから」
日曜日に大量に作って、月曜日友達にあげるんだ。新しいお菓子作りの本は購入したし、材料もネットショッピングで大量に手に入れた。後は新作お菓子に挑戦するだけ。
「じゃぁ……またチーズケーキが食べたいな。璃音の作るチーズケーキ大好きだし」
満面の笑みを向けてくる純夜に、オッケーとばかりに頷く。両親はあれもこれもと色々言ってるから、今日中に紙に書いて提出してもらう事にした。
そろそろ学校に行かないといけないし。
とりあえず食器を台所に置いておく。洗うのは帰ってからでいいよね。
「それじゃー行ってきます」
「行ってくるよ」
純夜が持ってきてくれた私の鞄を受け取り、両親に聞こえるように玄関から叫ぶ。いってらっしゃーい、という声が小さく聞こえたから、きっと書斎に引きこもるんだろう。お仕事頑張ってね。
原稿が無事にあがったら、お疲れ様のご馳走を作ろうかな。
「笑ってる。楽しい事あった?」
純夜の隣りをいつものように歩いていたんだけど、どうやら笑いが漏れていたらしく、純夜に笑われた。
可愛いというか、綺麗というべきか。つい見惚れてしまうというか。流石Lienの無敵主人公。その笑顔の効果は無差別。男女共に魅了しまくる魔性の微笑み。
そんなキラキラの笑顔を惜しげもなく見せるものだから、通学途中でも被害者多発。ストーカーが現れないのは運……というより、ある一部の信者と化した人たちがやっている自警団のおかげなのか。
どっちだろう。迷うなぁ。
「姉さん?」
「二人の原稿が完成したら、お疲れ様の料理を作ろうと思ったの。それを想像して笑っちゃったみたい」
笑みを消した純夜に、私は首を振る。返事が少し遅くなっただけで、そんなに心配そうな表情を浮かべなくていいから、と内心思いつつも微笑みを浮かべた。
「そうだね。今ちょっと詰まってるみたいだし。その時は俺も手伝うよ」
「ん。ありがと。その時はお願いするね」
相変わらず良い子。こんな弟がいて良かったなぁ。始めは驚いたけどね。純夜が弟になってあれ?みたいなね。
そういえば私の名前は璃音だったなぁ。えーと、つまりそれってLienの世界に転生をしちゃったっていう事ですかー。
あっれー。どうせなら報われる恋愛をしたかったんだけど無理かなぁ。
けどおかしいなー。幼馴染の岡本龍貴君が子供にしか見えないわー。そりゃ私も龍貴君も子供だけどねー。
なんか親と子供。祖母と孫。そんな感じで遊んでたらすっかりお姉さん役になっちゃった。今では手間のかかる弟みたいなものです。
………。
これはある意味フラグを潰したのか。
けど璃音の恋は誰にも打ち明けられずに終わったから、ストーリーに関係はないね。
「璃音。純夜っ!」
嬉しそうなわんこの声が背後から響く。この声は龍貴君だね。
「おはよう」
魅了全開の笑みを浮かべながら軽く手を上げる純夜。
今のチャームにやられて顔を背ける子が多発中。
「龍君おはよう」
龍貴君もすっかりやられてるね。そういえば今頃だっけか。ゲームの開始時期って。璃音が高校三年の卒業時に失恋したから。
「おはよう!」
龍貴君は身長180cm。茶色に染めた髪色。ソフトモヒカンで髪をアップしているんだけど、そのちょっとやんちゃな雰囲気が龍貴君にはあってる。
なんていうか私や純夜からしてみればわんこだけど。
「また身長伸びたんじゃない?」
身長の事を気にしている純夜が、自分と背を比べながら口をへの字にしてる。どうやら華奢に見える身長の事を気にしてるらしい。
純夜の身長も171cmだから、そんなに小さくは見えないけど。
「そっか?」
「そうだよ」
いじけた様にそっぽを向く純夜に、龍貴君はノックアウト気味に顔を背ける。どうやら直視できなくなったらしい。
その気持ちはよくわかるよ。私も中身がアラフォーじゃなかったら、もっとチャームにやられていただろうし。
「大丈夫だよ。純君も伸びてるから。去年は私と同じぐらいだったのに、ほら。見上げなきゃ視線が合わせられない」
いじけた純夜は可愛いけど、それだとこの何とも言えない空間に気まずさを覚えてしまうので、早々にフォロー。
「ね?」
小首をちょっと傾げながら、去年の純夜の身長を右手であらわしてみる。去年は目線が隣りだったのに、男の子は伸びるよね。成長期に入るとさ。
「ん……姉さんの身長より高くなったのは嬉しいな」
「そうだね。流石男の子。まだまだ成長期だから大丈夫だよ。目線が隣りじゃなくなったのはちょっと寂しいけどね」
公式設定だと、純夜は最終的に175cmぐらいになるみたいだから、もうちょっと伸びるよね。龍貴君は187cmになるから、純夜よりも伸びちゃうんだけどね。
にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべてて、周りを見ていなかったのが悪かったのか、突然額に衝撃がはしる。
痛っっ。
ちょっと涙目になったけど仕方ない。ヒリヒリする額を右手で押さえながら衝撃を与えたものを見たんだけど、これは何だろう。
缶入りクッキー……?
「姉さん大丈夫っ??」
「璃音っ!」
純夜と龍貴君が心配して駆け寄ってくれたんだけど、飛んできたものを見て三人で首を傾げてしまう。
どうしてこんなものが飛んできたんだろう。
真上からの衝撃だったんだけど。
缶入りクッキーの持ち主は誰だろうとキョロキョロする私とは違い、純夜と龍貴君は鞄からタオルとミネラルウォーターを取り出し、私の額に軽く当ててくれる。
濡れたタオルが気持ちいい。
「ありがと。気持ちいい」
ちょっと腫れてるような。まぁ、缶が当たったし、仕方ないかな。これぐらいで済んで逆に良かったような気もするし。
「ちょっと腫れちゃってるね。家に戻る?」
「大丈夫だよ。タオルのおかげで随分楽になったし。クッキー割れちゃったかなぁ」
下に落ちた缶を拾い上げ、少し振ってみると割れた音が聞こえた。
割れても味は変わらないんだけど、開けた瞬間に割れてるとちょっと悲しいよね。
「「あのさ…」」
「あの人かな」
二人が何かを言いかけるんだけど、私の視界に攻略キャラの一人が映る。そういえばこんなイベントがあったような気がする。
兄弟喧嘩で物を投げ合って、それが璃音に当たって純夜が怒る。っていうイベント。
「すいませんっっ」
慌てて駆け寄る攻略キャラ。
名前は西岡翔君。二年生から純夜のクラスメイトになるんだけど、純夜に負けず劣らずの可愛い男の子。
髪型はミディアム。ダイヤシルエットでアシンメトリーを意識しているのか、片方のサイドだけ耳にかけている。
ふんわりとしたハネが可愛い印象を与えてくれるけど、時折見せる肉食獣的な瞳が可愛いだけの男じゃないと思わせるとか。
今は身長165cm。けれど一年後は180cmの細マッチョ。
見た目の成長度合いは攻略キャラの中で一番かもしれない。
「すいませんじゃないよ。姉さんの顔に当たったんだよ」
「女性の顔に缶当てといて、すいませんじゃ済まないだろ」
私を背に隠すように純夜が前に立ち塞がり、その隣りでは龍貴君が斜め四十五度で西岡君を威圧する。
「顔っていうか…額だからね。そんなにダメージはないから大丈夫だよ」
「「……」」
私の言葉に押し黙る二人。
二人の背中が怖くて、ついごめんなさいと謝ってしまう。
「姉さんの所為じゃないから謝らないで」
「璃音の所為じゃないだろ」
「……うん」
いや、だって怖かったよ?
何も喋らないでね――って背中が語ってたし……。
「当たった場所大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。それよりクッキー割れちゃったね」
純夜の服を掴みながら、ちょっとだけ顔を覗かせながら手を振る。背中から出ると怒られそうだから、あくまで顔を見せる程度にね。
「クッキーは別にいいんですけど……額が…」
「どう見たって腫れてるよ…」
「来週の月曜日だったらクッキーでもケーキでも持ってたんだけどな」
純夜の言葉を遮るようにしながら缶を渡す。
「今日は手持ちのお菓子がないんだよね」
持ってたら力作クッキー。勿論割れてないのを押し付けるようにあげるんだけど。純夜と龍貴君から搾り出すような声で咎められた気がするけど、事故だったんだから仕方ないと思うんだよね。
若いから怪我の治りも早いし、そろそろ行かなきゃ遅刻しそうだし。
「学校に遅刻しちゃうよ?」
そういえば、純夜と龍貴君が諦めたように息を吐き出した。
「この話の続きは学校に着いてから、ね」
「あぁ。そうだな」
「……わかった」
どうやら被害者の私が許すだけじゃ足りないらしく、二人の言葉に西岡君が頷く。この後同じ教室に入っていく純夜と西岡君の喧嘩が始まるんだけど、それがきっかけで純夜に惚れちゃうんだよね。
流石純夜。無敵主人公は伊達じゃないね。