ストーカー事件・6
先週の金曜日に純夜が怪我をしたけど、鷹野先生の言う通り深い傷ではなかったらしく、土日を挟んだ事によって随分と良くなった。
出血の量が多かったから騒ぎになったけど、今は治りかけでムズムズとしてるみたい。流石若いだけあって傷の治りは早い。
月曜日は龍貴もしっかりと純夜をガードしてくれてる。いつもの場所で別れるんだけど、純夜も龍貴も何故か足を止めて、私をジッと見てきた。
「どうしたの?」
なんだろうと思いながら聞いてみる。ジィッと視線が突き刺さるのは何故でしょう。
「璃音も気をつけて。本当に」
「純夜は俺に任せて、璃音は気をつけてくれ。どうやっても近くに居れない時間が多いから、怪しいと思うものから全部逃げてくれ。くれぐれも気をつけてな」
念押しをするように気をつけてと2回言った龍貴。そんなに心配されると、逆に不安になってくる。私自身より純夜の怪我を阻止出来なかった事の方が悔しかったんだけど、二人は私にはない情報を得ているのかもしれない。
かといって学校での一年差は大きい。一年違うだけでほぼ校内で会う事はない。
私は安心させるように笑って、
「わかった、気をつけるね」
今言える言葉だけを口にする。
私は純夜を好きな彼女の事を知らないけど、大好きなのに純夜に怪我を負わせた事は理解したくもないし、許すつもりもない。
どうして大切な存在に傷をつけるのか。何度考えても私にはわからなかった。ただそういう人もいるんだな、とは思ったけど。
2人を安心させるように笑顔を浮かべた後、いつも通りに3年専用の玄関へと向かう。気をつけてはいるけど、相手の出方がわからない以上全てに気を配るのは難しい。
何せ相手は大好きな純夜を傷つける相手。
どんな手段を使うのかわからない。
土日で純夜から情報を仕入れようとしたけど、純夜自身がその話題を避けていて話す隙を与えてはくれなかったんだよね。
その時点で純夜の方も何かを仕掛けていたのかもしれない。私が知ったら怒るであろう事をやったんだと思う。
純夜の怪我の件については、純夜も龍貴も何か挙動が怪しい。生まれながらに一緒にいる私にしてみれば、2人の行動は不自然だ。
2人の不自然さを考えれば、机の引き出しに仕舞ってあった教科書かノートに刃物を仕込んであったんだろうけど、そもそも引き出しには鍵がついている。
純夜の閉め忘れの可能性もあるけど、私には純夜がこんなタイミングで忘れるとは思えない。なら合鍵を作られた?
いつ、合鍵を作る為の鍵を入手したんだろうか。
それを考え出すと、やっぱり2人は私には内緒で色々と行動していたのだろう。ここまで隠している事を聞き出そうとしても、きっと話してはくれないだろう。
口が堅いのも知ってる。話さないと決めたら純夜も龍貴も話さない。そういう子たちだ。
思考の中に入り込んでいたら、いつの間にか玄関にたどり着いていたらしい。
一応、まただけど下敷きでガードしながらゆっくりと下駄箱を開けた──…瞬間、前回とは比べ物にならない速さで何かが飛んできた。下敷きがその勢いに負けるとほぼ同時に、逆の手で顔をガードする。ジュワっと何かが溶ける音。
……水じゃない。先週よりもずっと凶悪になった悪意。
何かがかかったブレザーを直ぐ脱ぐ事でそれ一枚の被害で済んだ……わけではないけど、最小限で済ませられたんだと思う。肌は痛いけど飛び散った何かが少し肌に触れただけでこの痛み。顔に浴びたらと考えるとゾッとする。
「璃音ッ!?」
その時、真美ちゃんの声が響いた。
薬品の掛かった部分のブレザーはボロボロ。何箇所か焼けた肌。
「大丈夫?? じゃないわね。変な匂いもするわね。璃音。下敷きとブレザーを貸して」
「うん」
下敷きと更にブレザーでガードしながら真美ちゃんが下駄箱を開けたら、仕掛けが発動する音が響いた。けれど私と違って飛んできたのはペンキ。と微かな薬品の匂い。
「今回は無差別みたいね。こうなると他のロッカーも怪しいわね。
璃音は……ほけ」
「ここで見てるから、真美ちゃんが先生に伝えてきて」
真美ちゃんの言葉を遮り、言い切る。
「わかった。先生たちに伝えてくるから、ここでロッカーを開ける人がいたら止めてすぐに保健室に行く事」
「うん。わかった」
流石真美ちゃん。頭の回転が早いのと私の性格をよくわかってる。
私自身、まさかここまで大掛かりな事をされるとは思ってもいなかった。新学期から一ヶ月も経っていないのに、イベントが積み込まれすぎていて息継ぎも満足に出来なくなりそう。
ハァ……今日の授業は潰れ……。
突然、背中に強い衝撃を感じて前のめりで倒れた。咄嗟に手が出てズルッと嫌な音が聞こえる。段差のある所に立っていたのが悪いのか、連続での顔への傷だけは阻止出来たけど、その代わりとばかりに両手の平がヤバイ。
扉の硝子に映った人影。
ボヤッとしか見えないけど、般若のような表情をしているのだけはわかった。
怖い。
本当に顔が怖い。
男女限らず嫉妬は恐ろしいのは分かっているけど、こうして自分がターゲットになってみると、それは話で聞く以上に怖いものだった。
純夜に怪我を負わせた事で、何かが彼女の事で弾けたのかもしれない。
前回の水の件でもわかったけど、純夜の姉である私でさえもここまでの攻撃対象になるのは無差別過ぎるんじゃないだろうか。
真美ちゃんにも私の下駄箱と同じ仕掛けがあった。無差別はこれでほぼ確定と言っても良いと思う。
あえて後ろは振り返らなかったけど、彼女は私の背を押し、怪我を確認してから踵を返した。彼女の姿はもうここにはない。それと見計らったかのように、クラスメイトが登校してきた。
「璃音!? どうした……手!!」
クラスメイトの久美子ちゃんが口元に手をあて、私の惨状を見て声を上げた。
「──…え……とね。下駄箱は開けないで。今先生たちが来るから」
溶け掛けた下敷きをペラペラと揺らし、自分と真美ちゃんの下駄箱を指差す。
「何これ」
「他の人の下駄箱もそうかもしれないから、ちょっと待っててね」
「分かったけど……」
理由は分からないけど、私と真美ちゃんの下駄箱を見て頷く久美子ちゃん。それでも疑問が大きいのか、ほんの少しだけ首を傾げている。
私だって龍貴から聞いていなければ、この罠にかかっていたかもしれない。一回目の水の件で警戒して、二回目は防ごうとは思うだろうけど。
私のクラスメイトたちは、私を通して純夜とは結構仲が良い。だから全員が標的になったのかもしれない。でも、C組以外にも仕掛けられてないとは言い切れない。
ここまで大掛かりな事を出来てしまう思考。それに陥った彼女の暴走とも言える行動。純夜の怪我の件だけでも許せないのに、友達まで危ない目に遭う所だった。
許せない。許せないのに、こんな行動しかとれない彼女の事を可哀想だとも思ってしまった。
きっと彼女は、私に同情はされたくはないだろうけど。




